日本史を疑え
【書 名】日本史を疑え
【著 者】本郷和人
【発行所】文春新書
【発行日】2022/05/20
【ISBN 】978-4-16-661360-1
【価 格】840円
■ヤマト フランチャイズ
大和政権の冊封体制に組み込まれると技術指導を受けて前方後円墳を造ります。そして支配下の人々や周囲の豪族に見せることでブランドになります。フランチャイズのような仕組みでした。
■大宝
最初の元号は「大化」と言われていますが、途中で使われなくなり今に続く元号の始まりは文武天皇時代の「大宝」になります。
■壬申の乱
大海人皇子の所領が美濃にあり、多品治(おおのほんじ)に命じて不破で東山道を封鎖させます。多品治の子供が太安万侶という説があります。大友軍は西国で軍勢を集めざるをえませんが白村江の戦いのダメージを受けていることもあり兵力集めに苦労します。
■班田収授法
6歳になると良民に田を与えましたが、当時の戸籍をみると女性だらけの集落があり、戸籍を偽っていたようです。班田収授法の実態は取れるところから税をとる感じです。。
■後三条天皇の荘園整理令
藤原摂関家に荘園が集まっていましたが大打撃を与えたのが荘園整理令。記録所を設置して対象を摂関家や大寺社にまで広げ、正しくないと判定した荘園を没収します。荘園を運営する在地領主にとっては摂関家や大寺社も頼りにならないことになり上皇に寄進することになります。白河上皇は自分が建てた寺の寺領として寄進を受け莫大な富になりました。いわばトンネル会社です。これが院政を支えることになります。
■承久の乱
朝廷の権威がおちたために改革を実施します。おれが徳政で九条道家が行ったのが「雑訴の興行」、一般の土地トラブルの解決です。法の知識や文書処理能力といったソフトパワーを使い、中級の貴族でできるやつを登用しました。
承久の乱の後、西国に領地をもらった御家人は貨幣経済に巻き込まれてしまいます。陶器や茶道具などを買うにはお金がいるため土地を担保に金を借ります。これが徳政令につながりますが、ますます御家人を苦しめることになります。
■人口
600年ー飛鳥時代 600万人
1600年-1200万人
幕末-3000万人 江戸時代の生活は格段によくなったようです。
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