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2022/05/30

戦国武将、虚像と実像

 【書 名】戦国武将、虚像と実像
 【著 者】呉座勇一
 【発行所】角川新書
 【発行日】2022/05/10
 【ISBN 】978-4-04-082400-0
 【価 格】940円


司馬史観という言い方がありますが、司馬遼太郎の「坂の上の雲」などで登場人物のイメージが作られてしまいます。明智光秀、斎藤道三、織田信長、豊臣秀吉、石田三成、真田信繁、徳川家康が江戸時代、明治時代、戦後などでどうイメージが変わってきたのかをまとめています。しかも新しい歴史的事実が発見されたからではなく、高度成長期など世の中の尺度が変わるために人物イメージも変わります。


■斎藤道三 「大かうさまくんきのうち」
道三の国盗りを批判した落首「主を切り 婿を殺すは 身のおわり 昔は長田 今は山城」山城とは斎藤山城守で道三のこと。土岐頼芸の息子を娘婿にとりましたが毒殺し、土岐頼芸を追放します。長田(おさだ)は長田忠致(ただむね)のことで、平治の乱で配送した源義朝が尾張の長田忠致のところへ寄ります。忠致は義朝の家臣で腹心の鎌田政清の舅でしたが2人を裏切って殺してしまいます。


道三の異名といえばマムシですが、もともと坂口安吾が小説でマムシと呼んだのが広まったようです。油売りから美濃をとりましたが親子2代で実現したことが1958年から始まった岐阜県史編纂で新史料が発見されました。六角承禎の文章にありました。六角義賢が土岐頼芸を保護していましたが、息子の義治になると浅井との対抗上、美濃の斎藤と
連携する必要があり、この時に土岐頼芸が斎藤道三の出自について語りました。


■織田信長
足利義昭と対立したイメージですが、2人は運命共同体で、信長と三好三人衆の戦いでは自ら軍を率いています。信長の反対を押し切ってまでも家康に参陣を求めています。ただ三方ヶ原の合戦で武田信玄が家康を破ったのには驚いたようで、信長危うしと信玄に乗り換えました。追放後も和睦を考えており、征夷大将軍に自らなることは考えていなかったようです。


■石田三成
石田三成、小西行長-家康と早めに決戦
片桐且元-当面は家康に頼り、家康が亡くなるを待つ
福島正則、加藤清正-長いものにはまかれた方が豊臣家が残る
結果がわかっているので石田三成の選択が妥当と分かりますが家康の死を待つのは妥当でした。

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