国衆
【書 名】国衆
【著 者】黒田基樹
【発行所】平凡社新書
【発行日】2022/04/15
【ISBN 】978-4-582-86003-0
【価 格】880円
■在地領主、国人領主
本拠を有する領主で一円的に展開していたと考えられていましたが、確かに本拠近くに所領の大半をもっていても、別の場所にも所領を有していました。
■郷・村
室町時代になると郷・村を単位に年貢や責任を負う作人(名請人)を確定し、年貢の収集も郷・村を通じて行われました。
■取次
武田家家臣の小山田氏は北条家との取次をしていましたが北条家から所領を与えられ、これは取次給でした。
■妙印尼
北条家の国衆であった由良家・館林長尾家を守るために奔走。昔、北条家に反乱した際に秀吉と通信したことがあり、秀吉から妙印尼に堪忍領として牛久に5000石が与えられます。これが由良家・館林長尾家の再興となりました。
■真田昌幸
沼田領ー真田昌幸は徳川井家康に組していた時、沼田領は上杉家と敵対関係にあり、北条家の侵攻もうけていました。窮余の策として沼田領だけを上杉方に従属させ北条の侵攻に対抗するウルトラCを行います。申し込まれた上杉景勝も悩んだようですが了承します。
■松平家
室町時代後半から登場。幕府政所頭人(長官)の伊勢家の家臣になります。やがて数家に分立し応仁の乱の後には大給家(おぎゅう)、岩津家、大草家に分かれます。岩津家の庶家として安祥家が成立し、これが徳川家になります。松平清康の名前は吉良持清の一字をもらったもので松平は東条吉良家を主人に仰いでいたようです。
家康が織田家の人質になっていたというのは、どうも違っていたようで天文16年頃、今川家は松平家を支援するために三河へ進軍しますが織田家に敗北。この頃、松平広忠から竹千代(家康)に家督が移っていたようで今川軍は竹千代を支援しています。実際の領国支配は広忠が行っていたようで病死か家臣に殺されたため、岡崎領は今川家が接収し直接支配することになりました。国衆の当主不在の間、後継者が確立するまで領国を保護下におくための措置だったようです。竹千代は今川家の人質ではなく、成長するまでの保護だったようです。
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