偉人の年収
【書 名】偉人の年収
【著 者】堀江宏樹
【発行所】イースト新書
【発行日】2022/01/18
【ISBN 】978-4-7816-8077-4
【価 格】880円
■西郷隆盛
明治5年に陸軍大将となった西郷の月給は500円(1000万円ほど)で年収1億2000万円。清貧のイメージがありますが、金遣いが荒かったほかの役人に比べたらです。上野の銅像ができた時に犬を連れた着流し姿ですが、長男の菊次郎によると、あんなラフな格好で外を歩いていなかったそうです。
■樋口一葉
一葉ー1枚の葦の舟に乗って中国へ渡り、のちに手足を失った達磨大師の逸話にかけたもの。一葉ーお足がないーお金がない、で名づけたのは半井桃水(なからいとうすい)。
■夏目漱石
松山中学の教員の時に月給80円で校長は60円で、校長よりも好待遇でした。「吾輩は猫である」は初版が1000部で3刷して4000部でした。3部作で、1冊目の価格が95銭と高く現在なら1万9千円ほど。全部揃えるのに5万5千円ほどになりました。
■天武天皇
685年に上流貴族を集めて博打(双六)をしろと命じています。中国からもたらされた歌や笛と共に双六も伝えていくようにという意味ですが自身も双六にはまっていたようです。天武天皇が亡くなってから689年に持統天皇は双六を禁止しますから、にがにがしく思っていたかもしれません。
■福沢諭吉
「学問のすすめ」の販売は340万冊ほどになります。22億円ほどの売上になりますが、福沢諭吉は自分の版元から自費出版の形で出しました。原稿料だけで食べられたのが曲亭馬琴だけで、執筆は趣味の一環と思われていました。福沢諭吉は著作権を守ろうと働きかけもしています。
■ベートーベン
楽譜を書いて出版すると出版社から作曲費用をもらえますが買い取り契約なので楽譜が売れても印税収入はありません。ベートーベンの時代には音楽マニアの貴族などに楽曲の献呈をすると、献呈された側は一定期間、演奏会を主催して稼ぐ権利のバーターとして献呈料を作曲家に支払ました。それで楽譜に「〇〇夫人に捧げる」という文字が書かれることになります。
■クラーク博士
少年よ大志を抱けで有名なクラーク博士ですが日本から帰国してからは事業の失敗など惨憺たる結果でした。
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