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2022/02/11

歴史家の案内する大阪

 【書 名】歴史家の案内する大阪
 【著 者】仁木宏・般下徹
 【発行所】文理閣
 【発行日】2021/10/20
 【ISBN 】978-4-89259-890-6
 【価 格】1800円


■四天王寺
西側は上町台地の崖、南は河堀と呼ばれる幅の広い低地が拡がっていたため北と東を守るために戦国時代は堀と土塁が整備されていて発掘調査で見つかっています。


■浜路
天神橋商店街から下寺町(茶臼山近く)まで続く古道で難波京に西京極通りを継承している模様。中世には天神橋の前身となる渡辺橋が重源の勧進によってかけられます。近くには熊野一之王子である渡辺(窪津)王子があった模様。後に茶臼山にある堀越神社に移された模様。


■平野 正覚寺廃寺
旭神社の近くにあったのが正覚寺で畠山国清が開山した模様。足利尊氏、直義が後醍醐天皇や元弘以来の戦没者を慰霊するため夢窓礎石のすすめで全国66ケ国に安国寺を建立したが、この一つが正覚寺の模様。各国の守護の菩提寺などが安国寺として指定されました。畠山義就の重臣である神保氏の館があり、これが正覚寺城でした。百ケ所の矢倉があったと伝わっています。ここで畠山政長が戦死したため墓があります。


■田原レイマン 田原城
天正三年(1575年)に織田信長と対面したのが三箇マンショ、結城ジョアン、田原レイマンとフロイスが記載しています。田原レイマンの墓碑が見つかったのが田原で天正九年、礼幡と記載されていました。三箇マンショは三箇城の城主、結城ジョアンは岡山・砂の領主でした。


■枚方 百済寺
百済寺跡から北に行ったところに禁野本町遺跡公園があり百済寺の北門からまっすぐ行った所にあり斎宮のような街区が整備されていたようです。


■河内源氏
頼朝の祖が河内源氏で羽曳野市の壺井が源流です。源頼信が壺井里を本拠として活躍し藤原道長から受領を歴任し前九年・後三年の役で頼義、義家が活躍。頼義は通法寺と壺井八幡軍を創建します。頼義や義家の墓が残っています。


■日根野荘
関空近くにあるのが日根野。九条家の荘園がありました。戦国時代は武士が侵略してきたため九条政基は老齢ながら家臣を連れて日根野荘に在住して荘園の権益を守りました。

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