家康と家臣団の城
【書 名】家康と家臣団の城
【著 者】加藤理文
【発行所】角川選書
【発行日】2021/11/18
【ISBN 】978-4-04-703704-5
【価 格】1900円
■諏訪原城
武田勝頼が築きましたが特徴的な丸馬出など二の曲輪から西側のほとんどが徳川時代に造られたことが判明します。丸馬出というと武田と典型といわれていましたが、違っていました。
■膳所城
関ケ原の合戦後、諸大名に工事を割り振る天下普請の第一号になりました。縄張りは藤堂高虎が担当。東海道を通る瀬田の唐橋を抑えるためでした。
■桑名城
平維衡が伊勢平氏の祖となり庶流の清綱が桑名に移り、子孫が桑名氏を名乗ります。鎌倉時代に桑名行綱が幕府から桑名の地を与えられて最初の城館を築きます。戦国時代に小規模の城主が乱立し北勢四十八家となります。このなかの樋口氏、矢部氏、伊藤氏が西城、三崎城、東城という城館を構え、その下に三十六人衆を従えて、共同で自治都市・桑名を守っていました。伊藤武左衛門実房によって築いた東城が桑名城の二の丸や朝日丸あたりに位置します。桑名の城主はころころと変わり、関ケ原の合戦後は本田忠勝が入ります。
本丸の南に土橋で結んだ二の丸を設け、馬出として使っていました。桑名城では合計51の櫓で固められていました。
■徳川の城造り
豊臣時代は複雑な構造で内部を知り尽くした家臣団によって戦闘能力が発揮されましたが、徳川の城は高い石垣や多聞櫓、枡形虎口など天下普請で造られた城はほぼ同一構造。徳川軍ならどこの城へ入城しても戦えました。
■大坂城
明治維新までに3回、落雷被害を受けており万治3年(1660)年6月18日は土蔵造りの焔硝蔵(火薬庫)に落雷があり、大爆発。多数の死傷者が出て青屋門の扉が城から14kmも離れた暗峠にまで飛んだと記録されています。この後、焔硝蔵は石造りになります。
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