武田三代
【書 名】武田三代
【著 者】平山優
【発行所】PHP新書
【発行日】2021/09/28
【ISBN 】978-4-569-84986-7
【価 格】1320円
副題は「信虎・信玄・勝頼の史実に迫る」です。
■武田信玄
法度の末尾に「晴信の行いが、この法度に違反していると考えたならば、身分を問わず目安で訴えよ。その時は自分にも覚悟がある」と明記されていて異色です。法度は広く知られており写本がいろいろなところで見つかっています。多くの戦国法が守秘義務で限られた家臣しか流布しないと比べても異色です。
第二次川中島合戦では弓800張、鉄砲300挺を含む援軍3000を出しており鉄砲もきっちり装備していました。
■足利義昭
足利義昭の上洛。信玄、信長、家康で武田氏の今川攻めの密約ができます。これは越後の上杉謙信にも伝えられていました。足利義昭は上洛の手助けをしてくれる信長と対抗している今川を事実上、切り捨てたことになります。
織田・徳川連合軍が三方ヶ原で大敗したことで動揺します。信玄に信長と和睦するように使いを送りますが無視され、反対に信玄は信長を廃して義昭に天下静逸に協力すると言ってきました。信玄に和睦をうながしましが一方で京都を退去する準備をしていたのを信長が十七ケ条の意見書を送ってきます。信長の失策で追い詰められているのに、どういうことだと義昭は思い、ここから不和になっていきます。
■武田勝頼
長峰砦跡から見つかった弾は中国からの渡来銭と成分が同じで銅銭を材料にしていました。信長が大湊の商人に圧力をかけ経済封鎖を行っていました。信玄と家康で奥三河の争奪戦が行われましたが理由の一つが銅山だったようです。長篠城ちかくの睦平鉛山の銅で作られた弾が長篠古戦場から出ています。
高天神城の後詰にいけず、落城したことで信頼が落ちますが、信長の心理戦勝でした。勝頼と和睦交渉していましたが、これは交渉を長引かせて時間稼ぎする意図がありました。
勝頼は諏訪家の跡取りだったはずが、思いがけず信玄の後釜となり、苦労しながらも版図を拡げた優秀な武将だったようで、信長も高く評価していました。
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