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2021/12/25

大坂城

 【書 名】大坂城
 【著 者】北川央
 【発行所】新潮新書
 【発行日】2021/12/20
 【ISBN 】978-4-10-610932-4
 【価 格】840円


■大坂の陣
大坂夏の陣の後に残党狩りを命じましたが「古参」は豊臣家の譜代で、主命に従ったもの。「新参」は幕府と戦うために大坂城に入ったと区別しました。この線引きは秀頼が大坂城の山里曲輪で行った豊国大明神の勧請があった慶長18年と幕府では認識していました。


■後藤又兵衛への寝返り工作
不仲になっていた黒田長政との間を取り持ち長政から大幅な譲歩を引き出しましたが大坂城へ入城してしまいました。真田信繁には実績がありませんでしたが後藤又兵衛には華々しい戦歴があったため、幕府はかなりの工作をしていました。


■藪入り
神武東征でナガスネヒコに襲われた時に大竹藪に逃げ込んだことが語源となりますが、家康が平野の陣にいたところを真田信繁に攻められ藪に入って助かったことからという異説があります。家康は実は大坂の陣で討死しており堺の南宗寺にお墓がありますが、賛同したのが松下幸之助。松下を創業した頃にヤクザに絡まれたところを助けたのが水戸徳川家家老の子孫。資金がない松下幸之助に水戸の土地を担保にして幸之助に資金提供します。この恩を忘れず、世界の松下になってから徳川光圀を有名にしたいという願いから「水戸黄門」をナショナル劇場として提供することになります。


■三姉妹の弟
浅井周防守で大坂の陣に参加していました。毛利勝永隊の左先頭を務めていましたが、陣の後は初のいる若狭・小浜に身を寄せていました。京極家は松江、龍野、丸亀と転封されますが浅井周防守は丸亀で亡くなり、丸亀藩士・浅井家として明治まで続きます。


■道頓堀
安井道頓は実在せず、道頓は平野の成安家の人物だったことが判明します。成安道頓は大坂の陣で討死にし、安井久兵衛と平野藤次郎が引き継いで堀を完成させます。安井家はもともとは渋川氏で河内国渋川郡の久宝寺寺を本拠としていました。貞享暦を作った安井算哲は旧姓に戻し渋川算哲としました。


■半ドン
大阪城に置かれている大砲はもともとは天保山台場にあり維新後は大阪城に移り、日に三度、打ち鳴らされる時報に使われました。お昼のドンと言っていたのが午後半日の休みを半ドンというのは、ここからきているというのは大阪の俗説で実際はオランダ語の「ドンターク(日曜、休日)」で半分ドンタークが半ドンになりました。


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