戦国合戦のリアル
【書 名】戦国合戦のリアル
【著 者】鈴木眞哉
【発行所】PHP文庫
【発行日】2021/10/19
【ISBN 】978-4-569-90165-7
【価 格】940円
■兵種
正確なところは分かりませんが永禄5年(1562年)~天正6年(1578年)頃の武田家
槍 46.3%、騎馬 12.1%、持槍 11.7%、弓 10.3%、鉄砲 10.3%
で騎馬の割合でいうと上杉家の方が多く、武田の騎馬軍団というのは本当かどうか分からない
書状に書かれた死傷者などはいいかげんなもので信長自身も本願寺との戦いで雑賀孫一などを討ち取ったなどと、あちこちに偽情報を流しています。
■飛び道具
鉄砲兵の比率が高くなるのは関ケ原の合戦の頃からで、朝鮮出兵によって集団密集で戦う明軍を相手にし、薩摩の島津義弘は槍なんか役に立たないので鉄砲を送れと言っています。戦国時代を通じて一番効果的だったのが弓だったようです。
鉄砲ー沖縄では火矢という鉄製の管を束ねた鉄砲の原型のようなものを使っていました。応仁文明の乱の頃には京都でも鉄砲らしきものが使われていたようです。戦闘で華美な衣装をつけるのは鉄砲の硝煙のなかで同士討ちを避けることと武功を認めてもらうことにありました。
■青侍
平安時代後期以降、摂関家などに仕えた下級職員が侍身分だと六位であることが多く、六位は青い色の上着を着ていたことから未熟な者や身分の引く者という意味をさすようになります。
■指物
どこの軍か識別するための旗ですが東の方から始まったようです。秀吉の九州攻めで鍋島直茂が出陣した時に指物を指す受筒を知らなかったので縄で結んで背中に背負ったりしていたりしていました。
■行進
出陣する時などに行列を組むことはなく、信長軍では几帳面な明智光秀が改めるようにしました。
■安濃津城の戦い
関ケ原の戦いの前哨戦。記録からみると鉄砲疵54.8%、槍疵31.1%、矢疵13.7%で刀疵はわずか0.4%。白兵戦などはなく、富田信虎の妻が夫を助けるために出陣した話などはマユツバのようです。
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