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2021/09/10

新説戦乱の日本史

 【書 名】新説戦乱の日本史
 【著 者】倉本一宏、亀田俊和、川戸貴史、千田嘉博、長南政義、手嶋泰伸
 【発行所】SB新書
 【発行日】2021/08/15
 【ISBN 】978-4-8156-1181-1
 【価 格】990円


■百済の大井
皇極元年(642)に百済、高句麗、新羅の使者が倭を訪れます。蘇我蝦夷は百済の義慈王に追放された王族などを百済の大井の家に移住させます。この場所は倭の百済大井宮か河内国錦部郡百済郷(河内長野大井)、太子町大井のどれがの可能性が高そうです。


■百済復興
百済の鬼室福信から援軍要請がきて余豊璋を帰国させますが、過去にも百済からの援軍要請があり東城王を帰国させて百済を復興できた成功体験がありました。結局は白村江の戦で大敗することになります。


■壬申の乱
大友王子は母親が伊賀の地方豪族のため王位継承権がなく天智天皇が考えていたのは大海人皇子に中継ぎを頼み葛野王、大津王、草壁王という自分の血をうけた後継者へのバトンタッチです。ただ草壁王でないと困るのは「うののさらら(持統天皇)」で、壬申の乱の黒幕だったようです。


■御座所
兵庫城には本丸の入口が2つあり、1つは貴人用。信長の御座所として秀吉が整備していました。船上城、姫路城も同様に整備したでしょう。信長自身の出陣に際しては各方面軍の武将は御座所を作る必要がありました。兵粮や陣小屋、連絡網の整備ができており、これが中国大返しにつながります。


■関ケ原の合戦
玉城-豊臣秀頼を迎えるための御座所として整備されていました。プレハブのように組み立てるノウハウがあり大坂の陣での家康本陣も中井正清などの大工たちが短期間に作り上げました。大谷吉継は玉城(山中台陣)に陣をかまえていましたが小早川秀秋が松尾山城を守る城ではなく関ケ原の攻め込むための陣地構築し裏切ることが判明したため玉城から延びる尾根の先端に移動して簡易的な陣を作り小早川秀秋に備えました。これが墓所のあるあたりになります。

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