戦国乱世を生きる力
【書 名】戦国乱世を生きる力
【著 者】神田千里
【発行所】ちくま学芸文庫
【発行日】2021/06/10
【ISBN 】978-4-480-51030-3
【価 格】1300円
■徳政令
地方から上京した旅人の所持品を宿の主人がわざわざ賃借し徳政令を使って巻き上げようとしたところ反対に旅人に貸した宿をとられてしまう笑い話が「塵塚物語」に記載されています。土一揆に対し幕府は細川、山名、一色の軍勢を出しましたがまた落書も書かれ敗退し落書にも記載されます。「冬の夜を目覚めて聞けば御徳政、払いもあへず逃ぐる大名」
飢饉が起きると京都では粥の施行が行われました。そのため河内の農民が村を捨てて京都へ出てきたりしています。施行の原資は勧進(僧侶のよる募金)で足利義政自身も100貫文を寄付しています。
■山城国一揆
南山城で畠山義就と畠山政長が紛争。1482年(文明14年)末から翌年にかけて畠山政長方の草路城、水主城が畠山義就軍に奪われます。ところが1485年に畠山義就が水主城にいれた斎藤彦次郎が寝返ったため、奈島、多賀、富野、寺田などで両軍が対峙。南山城の国人や土民が集まって協議し両軍に撤退勧告を行い、両軍とも引き上げます。中心となったのが国人36人衆でもともとは細川政元の被官でした。
■惣村の自治
惣有財産-山などの入会地、農業用水などの村の資産
地下請ー近世の村請と同じで年貢納入
※近世の村請では領主と約束した石高と村が定めた宛米(あてまい)は異なっており宛米の方が一般的に石高より多くなっています。実際にどれぐらい村の収穫があるか領主も把握できなかったようです。
村法ー村の法律
自検断-警察権
■僧侶の救済活動
重罪人でも僧侶が助命嘆願ができました。認められないため死刑囚を得度して僧侶にしてしまい、ともに出奔してしまった僧侶がいます。また匿っていた罪人を大名の配下が殺してしまったため出奔した僧侶がいて、大名自身が迎えにきました。
■京都の町衆
足利将軍は動員権をもっており足利義昭が二条城に入って信長に叛旗を翻した時、市民が武器をとって門などを守ったとフロイスが記載しています。
信長は義昭を追放しましたが、足利体制は残そうと考えていたようです。義昭の息子で人質になっていた義尋を次の将軍にと考えていたようですが自身が征夷大将軍などに任命される頃になると考え方は変わっていきました。
■家の信心
子供の信心が親の往生に寄与すると考えられ、宣教師から地獄に落ちたものは救われないと聞くと、皆、嘆いたという記録があります。祖先だけでなく妻子なども対象なので先祖崇拝というより家の信心でした。
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