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2021/08/14

歴史のミカタ

 【書 名】歴史のミカタ
 【著 者】井上章一、磯田道史
 【発行所】祥伝社新書
 【発行日】2021/07/10
 【ISBN 】978-4-396-11630-9
 【価 格】940円


■カイロス(ギリシャ神話の”機会の神”)
頭髪は前髪だけで後頭部は禿げています。通り過ぎたら後ろ髪はつかめない、つまりチャンスはつかめないこといなります。


■譲位
生麦事件などイスラム国以上にやばい国が日本で欧米では怖れられていましたが、好奇心旺盛なところもあり、フランスの海軍士官エドゥアルド・スエンソンが神奈川宿の茶屋に入り、隣部屋の日本人が興味津々の様子が記録されています。スエンソンは日本最初の海底ケーブルを施設した大北電信会社社長です。


■エイバラハム・リンカーン
「それはできる、それをやる、と決断せよ。それからその方法を見つけるのだ」という言葉を残しています。


■秀吉の魁
秀吉が亡くなる前に新八幡という神号を朝廷に奏請しましたが認められませんでした。朝鮮半島に進出した応神天皇に比していたようです。秀吉の死後、後陽成天皇が認めたのが「豊国大明神」でした。


■徳川慶喜の失敗
大坂城から京都に単身で新政府の御所へ向かう予定でしたが、インフルエンザにかかってしまい主戦論を出張する配下たちに「いかようにも勝手せよ」と告げたことから鳥羽伏見の戦いになってしまいました。また幕府軍が破れた後、大坂城で戦う選択肢がありましたがイギリスが「局外対立を保たないかもしれない」と幕府を脅します。イギリス海軍が大坂城を開城封鎖したら詰みになるため慶喜は江戸に戻りました。鳥羽伏見の戦いの裏にはイギリスの影がありました。


■古墳時代・注記
長岡にある宇津久志1号墳で出土した重曹ガラス玉を分析したところローマ帝国内で製造されたガラス製品と同成分でした。


■蓬莱幻想
中国の「魏略」に倭人が周王朝の太王の長子・太伯の子孫を名乗ったことが記されています。古代日本は周王朝の長男の子孫が易姓革命もなく伝統を受け継いだ国という意識があり、聖徳太子が「日、出ずるところの天子」という文章につながった可能性があります。江戸期になっても林家で皇室は呉の太伯の子孫と言っていて、これに怒った徳川光圀が大日本史の編纂をしたと、まことしやかに言われています。


■別嬪を集める
701年の大宝律令で郡司以上の姉妹あるいは娘を13歳~30歳で容姿を厳選して送れと記載しています。法律で美人を集めろと書いたのは世界でもないのではないか、もっともとんでもない娘を送られてきた朝廷が、勘弁してくれと言い出したかもしれません。


■京都の坊主
祇園で黒い袈裟を着た坊主がミニスカート姿のキャバ嬢を抱きしめてみてもOK。ところが銀座のナイトクラブに袈裟姿で入ると場が凍り付きます。京都ならではです。拝観料で潤っている寺を「肉山」。豊かでない寺を「骨山」といい、豊かでない寺がやっかみで非難することを骨肉の争いと言います。


■祇園祭
北の海から牛頭天王が京都へ婚活の途中に立ち寄ります。この時、疫病の神々も連れて入ってくるので京都人は御旅所の所で粟飯の接待を行い、鴨川の流れで大阪の今宮に行ってもらいます。つまり祇園祭は鴨川を経由して京都から大阪へ疫病を通過させるためのお祭りです。

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