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2021/08/27

私はアラブの王様たちとどのように付き合っているのか?

 【書 名】私はアラブの王様たちとどのように付き合っているのか?
 【著 者】鷹鳥屋明
 【発行所】星海社新書
 【発行日】2021/06/23
 【ISBN 】978-4-06-523511-9
 【価 格】1050円


■王族
サウジアラビアで約2~3万人(人口3,400万人)王族年金と呼ばれる公的保障が受けられる。


■持たず・作らず・持ち込まず
サウジアラビアのお酒の非酒三原則がベースです


■頬キスの挨拶(サラーム ビルハッド)
地方によってやり方が違い、アラブ首長国連邦や一部砂漠の民ではカシュメックと呼ばれお互いの鼻と鼻の先をあわせる挨拶。


■中東
オスマン帝国(トルコ周辺)が近東、インドより東が極東、中東はその間ですがインドはイギリスの植民地だったので中東には入りません。


■韓国
アブダビの原子力発電所建設を韓国の企業連合が落札しましたが、価格が低いこととともに韓国とアラブ首長国連邦との間で軍事協定があることが背景にあるようである。特殊部隊の訓練や有事の際には特殊部隊とともにアラブ首長国連邦に軍事介入するという協定に「ようです。なかなかしたたかですね。


■民族衣装「トーブ」
宗教上の理由から絹の服を着ることは忌避されています。綿や化学繊維が使われています。


■アニメなどが人気
日本のアニメなどが人気ですが、意外なのが「風雲!たけし城」でリメイク版まで作られています。

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2021/08/19

日本史の法則

 【書 名】日本史の法則
 【著 者】本郷和人
 【発行所】河出新書
 【発行日】2021/07/20
 【ISBN 】978-4-309-63137-0
 【価 格】850円


■上原敦広
諏訪地方の御家人で上原城があり、後に信玄が拠点にします。この上原敦広が信瑞という僧侶と問答します。「我々武士は、在地領主として民から収奪し、まさにその血税でお寺をつくり、仏を供養するが、それで仏は喜んでくれるか」という問いに信瑞は「喜ばない」と答え、「仏は常に民が幸せであることを願っている。民を愛し、民にいい暮らしをさせる。それが仏がいちばん喜ぶことだ」と諭します。


この信瑞ですが法然の孫弟子で北条時頼にも会って教えを伝えています。この北条時頼を支えていたのが北条重時で大叔父にあたります。六波羅探題を切り盛りしていましたが時頼が新たな執権になる時に帰ってきて支えます。この重時が浄土宗の教えに影響をうけ、鎌倉幕府に撫民という政策が拡がっていきます。


■摂関政治
娘を天皇に嫁がせて義父となり母方の祖父であれば関白となり、父方の祖父であれば院生になります。


■本田忠勝
武士にとって大事なことは敵の大将の首を取ることや特別な手柄をたてることではない。主人が失敗して討死をとげる時に何も言わずに笑って一緒に死んでやることだ」と家来に語っています。

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2021/08/14

歴史のミカタ

 【書 名】歴史のミカタ
 【著 者】井上章一、磯田道史
 【発行所】祥伝社新書
 【発行日】2021/07/10
 【ISBN 】978-4-396-11630-9
 【価 格】940円


■カイロス(ギリシャ神話の”機会の神”)
頭髪は前髪だけで後頭部は禿げています。通り過ぎたら後ろ髪はつかめない、つまりチャンスはつかめないこといなります。


■譲位
生麦事件などイスラム国以上にやばい国が日本で欧米では怖れられていましたが、好奇心旺盛なところもあり、フランスの海軍士官エドゥアルド・スエンソンが神奈川宿の茶屋に入り、隣部屋の日本人が興味津々の様子が記録されています。スエンソンは日本最初の海底ケーブルを施設した大北電信会社社長です。


■エイバラハム・リンカーン
「それはできる、それをやる、と決断せよ。それからその方法を見つけるのだ」という言葉を残しています。


■秀吉の魁
秀吉が亡くなる前に新八幡という神号を朝廷に奏請しましたが認められませんでした。朝鮮半島に進出した応神天皇に比していたようです。秀吉の死後、後陽成天皇が認めたのが「豊国大明神」でした。


■徳川慶喜の失敗
大坂城から京都に単身で新政府の御所へ向かう予定でしたが、インフルエンザにかかってしまい主戦論を出張する配下たちに「いかようにも勝手せよ」と告げたことから鳥羽伏見の戦いになってしまいました。また幕府軍が破れた後、大坂城で戦う選択肢がありましたがイギリスが「局外対立を保たないかもしれない」と幕府を脅します。イギリス海軍が大坂城を開城封鎖したら詰みになるため慶喜は江戸に戻りました。鳥羽伏見の戦いの裏にはイギリスの影がありました。


■古墳時代・注記
長岡にある宇津久志1号墳で出土した重曹ガラス玉を分析したところローマ帝国内で製造されたガラス製品と同成分でした。


■蓬莱幻想
中国の「魏略」に倭人が周王朝の太王の長子・太伯の子孫を名乗ったことが記されています。古代日本は周王朝の長男の子孫が易姓革命もなく伝統を受け継いだ国という意識があり、聖徳太子が「日、出ずるところの天子」という文章につながった可能性があります。江戸期になっても林家で皇室は呉の太伯の子孫と言っていて、これに怒った徳川光圀が大日本史の編纂をしたと、まことしやかに言われています。


■別嬪を集める
701年の大宝律令で郡司以上の姉妹あるいは娘を13歳~30歳で容姿を厳選して送れと記載しています。法律で美人を集めろと書いたのは世界でもないのではないか、もっともとんでもない娘を送られてきた朝廷が、勘弁してくれと言い出したかもしれません。


■京都の坊主
祇園で黒い袈裟を着た坊主がミニスカート姿のキャバ嬢を抱きしめてみてもOK。ところが銀座のナイトクラブに袈裟姿で入ると場が凍り付きます。京都ならではです。拝観料で潤っている寺を「肉山」。豊かでない寺を「骨山」といい、豊かでない寺がやっかみで非難することを骨肉の争いと言います。


■祇園祭
北の海から牛頭天王が京都へ婚活の途中に立ち寄ります。この時、疫病の神々も連れて入ってくるので京都人は御旅所の所で粟飯の接待を行い、鴨川の流れで大阪の今宮に行ってもらいます。つまり祇園祭は鴨川を経由して京都から大阪へ疫病を通過させるためのお祭りです。

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2021/08/07

戦国乱世を生きる力

 【書 名】戦国乱世を生きる力
 【著 者】神田千里
 【発行所】ちくま学芸文庫
 【発行日】2021/06/10
 【ISBN 】978-4-480-51030-3
 【価 格】1300円


■徳政令
地方から上京した旅人の所持品を宿の主人がわざわざ賃借し徳政令を使って巻き上げようとしたところ反対に旅人に貸した宿をとられてしまう笑い話が「塵塚物語」に記載されています。土一揆に対し幕府は細川、山名、一色の軍勢を出しましたがまた落書も書かれ敗退し落書にも記載されます。「冬の夜を目覚めて聞けば御徳政、払いもあへず逃ぐる大名」


飢饉が起きると京都では粥の施行が行われました。そのため河内の農民が村を捨てて京都へ出てきたりしています。施行の原資は勧進(僧侶のよる募金)で足利義政自身も100貫文を寄付しています。


■山城国一揆
南山城で畠山義就と畠山政長が紛争。1482年(文明14年)末から翌年にかけて畠山政長方の草路城、水主城が畠山義就軍に奪われます。ところが1485年に畠山義就が水主城にいれた斎藤彦次郎が寝返ったため、奈島、多賀、富野、寺田などで両軍が対峙。南山城の国人や土民が集まって協議し両軍に撤退勧告を行い、両軍とも引き上げます。中心となったのが国人36人衆でもともとは細川政元の被官でした。


■惣村の自治
惣有財産-山などの入会地、農業用水などの村の資産
地下請ー近世の村請と同じで年貢納入 
※近世の村請では領主と約束した石高と村が定めた宛米(あてまい)は異なっており宛米の方が一般的に石高より多くなっています。実際にどれぐらい村の収穫があるか領主も把握できなかったようです。
村法ー村の法律
自検断-警察権


■僧侶の救済活動
重罪人でも僧侶が助命嘆願ができました。認められないため死刑囚を得度して僧侶にしてしまい、ともに出奔してしまった僧侶がいます。また匿っていた罪人を大名の配下が殺してしまったため出奔した僧侶がいて、大名自身が迎えにきました。


■京都の町衆
足利将軍は動員権をもっており足利義昭が二条城に入って信長に叛旗を翻した時、市民が武器をとって門などを守ったとフロイスが記載しています。


信長は義昭を追放しましたが、足利体制は残そうと考えていたようです。義昭の息子で人質になっていた義尋を次の将軍にと考えていたようですが自身が征夷大将軍などに任命される頃になると考え方は変わっていきました。


■家の信心
子供の信心が親の往生に寄与すると考えられ、宣教師から地獄に落ちたものは救われないと聞くと、皆、嘆いたという記録があります。祖先だけでなく妻子なども対象なので先祖崇拝というより家の信心でした。

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