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2021/07/10

天正伊賀の乱

 【書 名】天正伊賀の乱
 【著 者】和田裕弘
 【発行所】中公新書
 【発行日】2021/05/25
 【ISBN 】978-4-12-102645-3
 【価 格】880円

伊賀には600を超える城砦群があり、当時も認識されていて朝鮮出兵中の加藤清正が秀吉の側近に送った書状に「昔の伊賀・甲賀のように在所在所に要害を構えている」と報告しています。実際は不明数が264あるため900近くあったようです。

■伊賀守護 仁木(にっき)氏
足利義昭が将軍になる前に大和を逃れて甲賀の和田惟政の所に向かう途中、伊賀を通り仁木氏に接待をうけた記録があります。

■伊賀衆
越智党など党は血縁関係で結ばれていて衆は地縁を元にしています。六角氏と縁が深く足利将軍に攻め込まれると甲賀や伊賀に逃げ込んでいました。伊賀衆は全体としてまとまっていたわけではなく傭兵的存在で浅井氏が六角氏方の太尾城を攻める時に伊賀衆が参陣しています。織田方についたこともあります。

■六角定頼
信長が安土城に江雲寺御殿を造営しており、六角氏を最盛期までのばした六角定頼(江雲寺殿)に由来するようです。

■三瀬の変
信長の命令で北畠具教が三瀬御所で討ち取られたと言われていますが松阪市大石の可能性もあり、江戸末期には御所屋敷という字名が残っていたようです。

■滝川勝利
木造具康の子供で信長の北畠攻めでは木造氏を信長方にしました。滝川は擬制的な一族として名乗ったのでしょう。織田信雄の後見役となり本能寺の変の後も活躍し秀吉や家康にも高く評価されていました。関ケ原の合戦では西軍につき所領没収になりましたが、翌年には家康の常陸国で2万石を与えられました。

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