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2021/06/26

日本経済図説 第5版

 【書 名】日本経済図説 第5版
 【著 者】宮崎勇、本庄真、田谷禎三
 【発行所】岩波新書
 【発行日】2021/05/20
 【ISBN 】978-4-00-431878-1
 【価 格】860円


■労働分配率
内部留保が増加している割には労働分配率は横ばいで世界共通の現象。経済のグローバル化がすすみ先進国では新興、途上国の労働者とより競争するようになったこと、これで低賃金の非正規労働者増加につながっている。もう一つは情報通信の発展で中スキル職が減り、高スキル職が増えた以上に低スキル職が増加し全体賃金が下がったことによる。


■貯蓄率
日本の家計は貯蓄率が高いイメージがあるが1990年代末以降は下降気味で先進諸国では低貯蓄国になっている。背景にあるのが高齢化で、貯蓄は家計よりも企業部門に移っている。ただし家計金融資産は増加している、企業と家計の貯蓄が政府と海外の債務の増加をささえてきたことになる。


■国民負担率
日本-租税負担率26.5%、社会保障負担率18.1%
フランスー租税負担率41.7%、社会保障負担率26.5%
欧米よりは低いがアメリカよりは高い

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2021/06/20

能から紐解く日本史

 【書 名】能から紐解く日本史
 【著 者】大倉源次郎
 【発行所】扶桑社
 【発行日】2021/03/31
 【ISBN 】978-4-594-08417-2
 【価 格】1800円


■能の音楽
雛祭りの五人囃子と同じで右側から地謡、笛、小鼓、大皮、大鼓と並び、音源が口から遠くなる順になっています。


■能のスポンサー
妙楽寺(談山神社)と興福寺(法相宗)で平安遷都前に、清水寺が興福寺の出先機関として造られ北法相宗本山になっています。


■暦の数え方
春秋暦という春から秋まで1年、秋から冬までを1年とした暦が古代から飛鳥時代まで使われていたのではという説があります。神武天皇など100歳以上の天皇が古代に多いのですが半分にすると神武天皇は68歳となり長命ですが、ありえない歳ではなくなります。


■比叡山
「白髭」では延暦寺を建てる時に地元でひと悶着があったこと、「大江山」では最澄という偽物が我々を追い出したという話になっていて比叡山の先住民が丹波に逃れたのに、また討伐された歴史のようです。


■継体天皇
最先端の水田耕作を持ち込んだようで宮の名前が磐余玉穂宮になっています。陸稲栽培と違って連作障害が起きませんから確かめながら大和入りしたので時間がかかったのではないかという説です。また「花筐(はながたみ)」では継体天皇にお供してきた照日前が出てきて天照を匂わしています。何らかの宗教戦争みたいなのがあり、最終的に継体天皇が天照大神を祀り、伊勢神宮を建てたのではともいわれています。


■在原
阿保親王が薬子の変で失脚します。息子が在原業平となります。阿保親王の墓は芦屋市にあり、所領で開墾したことで功績をあげ在原という名前を得たのでは推察しています。春の田植えや秋の収穫で舞われる「翁」には「ありはらや。なぞの。翁ども」という言葉が出てきます。


■狂言・謡曲の言葉
遠国の大大名同士が集まっても言葉が通じませんでした。そこで狂言などで使われる「にてそうろう」「ござる」「かしこまり申した」などが使われ、これが武家言葉となっています。全国隅々まで能は伝わっていましたので、これが共通語になっていきます。


■秦河勝
広隆寺の別名は太秦寺で長安にあった大秦寺(景教)の影響を受けたようです。「翁」には白いお爺さん、黒いお爺さん、若い男の3人が登場しキリスト生誕の三賢者のようです。大倉源次郎の氏名は大倉源次郎秦宗治で大和四座は秦氏の子孫となります。世阿弥の風姿花伝には猿楽の開祖が秦河勝と書かれています。

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2021/06/19

幕末武家の回想録

 【書 名】幕末武家の回想録
 【著 者】柴田宵曲
 【発行所】角川ソフィア文庫
 【発行日】2020/10/25
 【ISBN 】978-4-04-400600-6
 【価 格】1,320円


■将軍への謁見
5人1組ぐらいでお辞儀をするだけですが畳の縁に手がついたり、障子に脇差が触ったりすると御目付が駆けてきて下城差留になります。譴責をうけるだけで、それ以上の処分はありません。


御能見物の登城の日に限って町奉行の批判や悪口をしてもいいそうで、将軍家が下情を知る意味があったようです。


■藩主の日常生活
厳格で東の門から出て西の門から帰るということができず、事前に 西の門の門番に伝えておかなければなりません。実際に浅野長勲が身をもって体験したそうで東の門から戻り、門番を賞したそうです。


御小納戸役に新規に任じられると古参メンバーに気を使わなければならず、これで坊ちゃん殿様を鍛えてから御前詰にします。


■参勤交代
京都を通らずに伏見を通るのが慣例でしたが幕末になり、豊後の殿様が国元へ戻る時に伏見に来た時、浪士がやってきて京都へ寄って天機を伺えということになり、すったもんだで勅使まできたため、それ以降は京都へ寄ることが慣例になってしまいました。


■黒船来航
甲冑具足を揃えようとしても、陣羽織が虫食いだらけというありさまで、具足師が大儲け。「武具馬具卸 亜米利加様と そっと云ひ」という川柳が出ました。ペリーは嘉永6年に来航して、来年に返事を受け取りに来ると言ってましたが来年を待たずに暮れに来たため幕府は驚きましたが、太陽暦があることを知らなかったからです。


■安藤信正
日本の施設がサンフランシスコに着いた時に祝砲を撃ち、相手も答礼しました。これを聞いたアメリカ公使ハリスが安藤信正に「今までわが軍艦が貴国へきて祝砲をうつと、とやかく言うのにサンフランシスコではなぜOKなのか」と聞くと、「祝砲は我が国では慣例がないが貴国では慣例なので、それに従ったまで、貴国も我が国に来たら慣例に従って打たぬのが礼ではないか」と言ったら、ハリスは返す言葉がありませんでした。


■遠島
舟を御用船にしたてないといけませんが誰もやりたがりません。仕方なくクジ引きとなります。


■御徒士町
維新後、幕府の官職名をつけるのはどうかということで岡地町になりましたが、すぐに戻ってしまいました。


■官軍
官軍が函館から脱走人を送らせるのに送る人に船が動かせなかったので捕らえた脱走降参人に頼んで船を動かしてもらうような事態でした。官軍が江戸へ進軍する時に逃げるために輸送料が高騰。下総の市川までカゴ1丁が金十両となりました。


■連戦連勝
「もしほ草」(岸田吟香)、「江湖新聞」(福地桜痴)などが会津や脱走が勝ったと書かないと新聞が売れないので奥羽軍が連戦連勝の記事ばかり。日清戦争の時には日本軍が勝っているのに清の新聞が清側が勝っている記事ばかり書いているのにあきれていたが、塚原渋柿(幕臣から新聞記者へ)は我が国も同じだったと苦笑したそうです。


■ジャナ号
ロシアの使節プーチャーチンが乗ったジャナ号が大坂に入りましたが下田で応接するということで下田に入った時に大津波で破損してしまいます。船の大砲が幕府に寄贈され幕府海軍操練所で使われていました。明治になって築地の海軍兵学校の稽古用砲台に使われていましたが、明治8年にロシアの軍艦が入り兵学校を見学に来た時に、このことを知り艦長は大砲の形状や番号を写し取って帰っていきました。

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2021/06/12

世界と日本の地理の謎を解く

 【書 名】世界と日本の地理の謎を解く
 【著 者】水野一晴
 【発行所】PHP新書
 【発行日】2021/05/27
 【ISBN 】978-4-569-84948-5
 【価 格】950円


■砂漠
砂砂漠は20%で礫砂漠や岩砂漠が80%をしめています。


■湧水の源
ケニアやキリマンジャロでの飲料水は山麓(2000m)あたりの湧水でもともとは標高5000mぐらいの氷河や積雪が解けて長い年月をかけて湧き出てきたことが分かってきました。


■渋谷に高層ビルが少ない理由
12万年前以前に形成された新宿の地盤が一番硬い。次が6万年前にできた池袋で渋谷は2万年前にできており谷に泥がたまった地層で高層ビルを建てるには建設費がかかるため高層ビルが少ないことになります。


■エベレスト 8848mより高い山がない理由
エベレストの標高は対流圏と成層圏の境界の圏界面より少し低い高さになり、山頂が圏界面を超えると雲ができず強い日差しや夜との温度差で崩落し、長い年月で見ると圏界面より低くなります。飛行機で上昇してシートベルトがはずせるのは、対流圏から圏界面を超える時になります。


■縄文海進とハブの生息
諸説ありますがハブのいない島は標高が低い隆起サンゴ礁の島が多く、ハブがいるのは標高の高い火山島と言われています。


■倹約遺伝子説
ポリネシアの人々は身体が大きくトンガなどでは65%以上が肥満体。小さな島から移住していくのに少ない食料で耐えるために、そういった体質の人間だけ生き残ったという説です。

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2021/06/08

小説家になって億を稼ごう

 【書 名】小説家になって億を稼ごう
 【著 者】松岡圭祐
 【発行所】新潮新書
 【発行日】2021/03/20
 【ISBN 】978-4-10-610899-0
 【価 格】800円


■読書家はごく一部
読書は生来の素質に大きく左右され、能動的に文章を読んで、受動的に内容を解釈し楽しみや喜びにつながる層とは一握り、そのため日本最大のベストセラー文芸は600万部程度。ある特定の小説家の顧客となるうる層はどうがんばっても300万人以下になります。40人いても39人はお客ではないことになります。


■責了
責任校了の略で印刷所の責任にて校了したことになり、これ以降の直しは一切、行えません。製本前に見本本が送られてきますが、この時にミスが見つかる時がありますが、版を改めない限り、直しはききません。出版社に八つ当たりする作家もいるようで校正漏れは最終的に著者の責任と明記した出版契約書を用意している出版社もいます。


■出版して売れなかった場合
取次が明確に分かります。本の委託販売は105日間なので売れなければ、この間に取次に戻ってきます。


■アルコールが入っているからこそ傑作が書ける
細部のじょうほうを省略しているため楽に作業が行えるように錯覚しているだけ


■文学賞
編集者が気をきかして宴の席を用意します。当選すれば祝賀会になりますが落選すると残念会になります。同席者がどんどん減っていき最後は編集者とサシで飲むことになります。


■映像化は出版に影響するか
映像化されても文庫で1万部ほどの重版のみということがよくあり、それほどの効果はないそうです。

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2021/06/03

風土記から見る日本列島の古代史

 【書 名】風土記から見る日本列島の古代史
 【著 者】瀧音能之
 【発行所】平凡社新書
 【発行日】2018/06/15
 【ISBN 】978-4-582-85883-9
 【価 格】820円


■風土記が作られた理由
正史の一部門として地理的要素が必要で、日本書紀、古事記以外に地理書として成立したもので正史の「志」にあたる部分。漢書地理志で有名である。風土記を編纂することで天皇の支配がすみずみまで及んでいることを確認し公表するためのものである。


ただし「風土記」という言葉がつけられたのは平安時代の頃で菅原道真のライバルだった三善清行が風土記という言葉を使っており、これが最古の例で、この頃から使われだしたようです。作られた当時は下級官庁から上級官庁に提出する解(ゲ)【解文】として出されました。


■2月30日
全国で60ほど作られたという風土記ですが、ほぼ完本として残っているのは出雲国風土記です。誰がいつ作ったかも書かれていて書いたのは秋鹿郡の人である神宅臣金太理という人物。


書かれたのが天平5年(733年)2月30日です。実はこの日付が問題となって偽書説まで出ましたが、正倉院から2月30日付の文章が発見され、奈良時代に2月30日があることが分かりました。


■浦嶋子
浦島太郎のモデルです。丹後国風土記では舞台が与謝郡で在地豪族である日下部首の先祖になっています。舞台はいろいろで住吉や余呉湖などがいろいろです。

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