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2021/05/29

最新の日本史

 【書 名】最新の日本史
 【著 者】河合敦
 【発行所】青春新書
 【発行日】2021/05/15
 【ISBN 】978-4-413-04618-3
 【価 格】980円


■う野讚良(うののさらら)野望説
天智天皇から大海人皇子への皇位継承は群臣も支持していており、大海人皇子が天皇になった後の後継者が葛野王、大津皇子。草壁王子、う野讚良で天智天皇と大海人皇子にとっても悪い選択肢ではなかったようです。なぜ壬申の乱が起きたのか、自分の子供である草壁王子を確実に即位させるために大海人皇子をけしかけたのではという説があります。


ところが草壁王子が若く亡くなってしまい、文武天皇へ皇位を継ぐために中継ぎとして持統天皇が誕生します。アマテラスを守護神と考えていたようで、歴代の大王が代替わりすると宮を移しましたが、藤原京からはなくなります。その代わりに伊勢神宮の遷宮が行われるようになったという説があります。持統天皇は斎王制度をやめて自らが伊勢神宮へ行幸しますが、これは自らがアマテラスとして振舞うことを報告し許しをもらうためだったようです。


■大津浜事件
文政7年(1824)、大津浜(北茨城市)にイギリスの捕鯨船がやってきます。水戸藩で対応にあたったのが金沢正志斎はフェートン号事件を念頭にイギリスは侵略を考えているのではと考えます。そこで書き上げたのが「新論」で。これが尊王攘夷論の根幹となっていきます。


■日露戦争
国家予算の5年分の戦費がかかり強制的に住民が国債を買わされ破産する住民が出ます。またマスコミが戦勝の誇大ニュースを載せると新聞がよく売れるため毎回、ロシア軍に勝っていると書きたてました。国民も報道を信じていました。これが日比谷焼き打ちち事件へとなっていきます。講和を支持したのが徳富蘇峰の国民新聞だけで、群衆に襲撃されることになります。日露戦争前から反戦的だった万朝報は急激に部数を減らしたため主戦論に途中で切替ます。

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