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2021/04/10

お殿様の定年後

 【書 名】お殿様の定年後
 【著 者】安藤優一郎
 【発行所】日経BPマーケティング
 【発行日】2021/03/08
 【ISBN 】978-4-532-26455-0
 【価 格】850円


■柳沢吉保
六義園を造成した人物で和歌に造詣が深く、北村季吟から古今伝授を受けています。当時は甲府15万石でしたが1724年に大和郡山に国替えとなり、そのまま明治をむかえます。お国替えの時に22歳だった柳沢信鴻が藩主を30年ほど勤め1773年に隠居します。藩主から引退すると歌舞伎を見に行ったり、街中へ出たりと自由になります。また藩主が住む上屋敷から駒込下屋敷に移ります。ここにあったのが六義園です。


藩主時代は元旦といえば江戸城に行き年始の挨拶を行かなければならず大変でした。そこで詠んだのが「君恩に 先ず元日の 朝寝かな」です。


■松平定信
寛政の改革を行い質素倹約をすすめたため、「白河の 清きに魚も 棲みかねて もとの濁りの 田沼恋しき」と歌われました。失脚してからは改革で弾圧したはずの文化を振興しており、老中時代は役目柄やらざるをえなかったようです。「近世職人尽絵詞」のスタッフで登用されたのは四方赤良(大田南畝)、山東京伝などで寛政の改革で要注意人物になった人物ばかり。


■甲子夜話
甲子夜話で有名な平戸藩主・松浦静山が名言が「勝ちに不思議の勝ちあり 負けに不思議の負けなし」。松浦は九州で活躍した松浦党という武士集団で水軍で活躍しました。


■薩摩の武士
明治7年(1874年)総人口が3362万人で5%強188万人が武士とその家族。薩摩の武士とその家族は20万人を超えていて日本の武士の1割強を占めていました。

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