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2021/04/30

古代日本の官僚

 【書 名】古代日本の官僚
 【著 者】虎尾達哉
 【発行所】中公新書
 【発行日】2021/03/25
 【ISBN 】978-4-12-102636-1
 【価 格】840円


日本人は勤勉と言われていますが、遅刻、欠席、代返、職務放棄は当たり前。元日、朝賀儀という需要儀式にも官人がたくさん無断欠席していました。


■正倉院文書
淡海金弓という写経生は5日間の休暇をとり、休暇後も出仕せず、突如病気になったと欠勤届を出しています。この当時から詐病や不正休暇が多かったようです。また郡司に任用されても、すぐに辞退してしまいます。一度、郡司に任命されると辞任後を官人身分を保証されるため中央官人への抜け道になっていました。


古代からそうだったようで舒明天皇の時に出勤時間を守らないものが多いので鐘で時刻を知らせるように労務管理を始めようとした時、反対したのが蘇我蝦夷。問題するには及ばないと判断したようです。さぼったとしても多めにみることが多く、罰則が厳しくなかった世界でした。儒教などが入ってくるまでは、ゆるい考え方でした。


818年の嵯峨天皇時代には少しはましになったようですが、朝賀に出てきた官人が儀式を知らないため、バラバラの所作に。嵯峨天皇は、まず予行演習せよと命じます。元明天皇も律令を学んでいない官人が多いので勉強せよと命じています。


■天皇に対する畏怖が少なかった
桓武天皇が少納言からあがってくる奏上の紙が悪臭を放つものが多いので何とかせいと少納言を叱責しています。部下から奏上があがってきますが、とりあえず奏文さえ出せばよいと官人は考えており、天皇への畏怖などはなかったようです。


■宴席にもぐりこむ
遅れてきて宴席にもぐりこむものがいて、天皇主催だと最後に恩賜の品が出たので、これが目当てでした。そこで門に近衛府の官人が動員され不届きものを排除していました。また宴席前の儀式はさぼって宴席から出席するものもたくさんいました。守らせるためにいろいろと規制はしますが、刑罰もあまく、厳しくしても、すぐにきつすぎるという声があがってなしくずしになります。


■勤務評定(考選法)
768年(天武7年)に考選法が布告されます。官人の勤務評定と昇進を定めた法です。ただし対象は下級官人でしたが、どんなに頑張っても「大山上」を超えることはできませんでした。これが勤務評定の始まりになります。


 

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地形と地理でわかる大江戸の謎

 【書 名】地形と地理でわかる大江戸の謎
 【著 者】大石学
 【発行所】宝島社新書
 【発行日】2021/03/24
 【ISBN 】978-4-299-01534-1
 【価 格】1200円


■江戸
秀吉が家康を辺鄙な江戸に追いやったというイメージがありますが、太田道灌が江戸城を築いてから発展しており平川河口には諸国から船が入り、市も毎日、開催されていました。武蔵の国府津(国府への物資輸送の拠点港)が品川や浅草あたりにあったという説もあります。


■箱根の関所
北条氏が関東防衛の拠点として山中城、鷹ノ巣城、湯坂城、進士城、塔ノ峰城、宮城野城など箱根十城が築かれました。


■山科
大石内蔵助が拠点に選んだのが山科。大石家の祖先の地が近江国栗田郡で親類縁者が多かったことで、次女を養女に出した縁者に身元引受人になって田畑や住居を手に入れました。また大垣城主が戸次氏定で浅野内匠頭の従兄弟で浅野家再興に尽力してもらっていました。


■青梅街道
多摩には漆喰の材料となる消石灰がとれたため街道が整備されました。八王子城でも漆喰が用いられていたようです。1765年(明和2年)になると産出量が減ったようで街道の性格を変えていくことになります。

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2021/04/24

腰ぬけ愛国談義

 【書 名】腰ぬけ愛国談義
 【著 者】半藤一利、宮崎駿
 【発行所】文春ジブリ文庫
 【発行日】2013/08/10
 【ISBN 】978-4-16-812201-9
 【価 格】630円


■夏目漱石
半藤一利の奥さんが夏目漱石の孫娘で母親が漱石の長女である筆子。
朝日新聞で「こころ」を連載していた時、次の連載小説を志賀直哉に頼んでおいたところ、書けないと言われ、時間稼ぎのために「こころ」の遺書の部分が長くなりました。


■日本海海戦
バルチック艦隊が10ノット(約18km)で来ると対馬海峡に到達する頃なのに来ないため連合艦隊司令部は対馬海峡での待ち伏せをやめて北海道へ移動する密封命令を出します。密封命令は封筒に入れるだけで封はしていません。これを見たほかの艦隊の参謀長が戦艦三笠に乗り込んで、バルチック艦隊の速度は7~8ノットなんで、絶対に対馬海峡に来ると主張。東郷平八郎は密封命令を開ける日を1日延ばします。開ける直前いロシアの石炭船が上海に入った情報が入り、バルチック艦隊がまだ東シナ海にいることが分かりました。


■軍船の艦橋
城郭型といわれる艦橋は役人根性で大きくなり、もっと高い所へということで伸びていったようです。現在も同じで板門店で階段する机の真ん中にある北朝鮮の旗と国連軍の旗の両方とも高く、北朝鮮は少しだけ高くなっています。どんどん高くしていった結果です。日本海軍は親独だったのはハニートラップが原因だったようで、ドイツに留学したり駐在していた海軍士官にナチスは女性を当てがっていました。


■隅田川の鉄橋
ワシントン軍縮条約で軍艦の数が減り用意していた鉄と工員の対策として造られたのが隅田川にかかるたくさんの鉄橋です。


■風呂屋舟
船頭たちは仕事を終えると風呂舟に入っていたそうで、近くには飲み物や貸しを売る舟屋台もありました。

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2021/04/20

DXとは何か

 【書 名】DXとは何か
 【著 者】坂村健
 【発行所】角川新書
 【発行日】2021/04/10
 【ISBN 】978-4-04-082339-3
 【価 格】900円


■DXとは
Digital Transformationの略。英語圏では「Trans」を省略する時にXとするためDXとなる。2004年にウメオ大学(スウェーデン)のエリック。ストルターマン教授が使ったのが初めてと言われている。


最近、流行っているRPAはDXではなくルーティンワークの自動化にすぎない。仕事のやり方を見直してネット連携できるシステムに変えればRPAは不要になる。


■オープン化
グーグルはAIに関するAPIをオープンしたため他の会社もせざるをえなくなりアマゾンやマイクロソフトもオープン化している。そのたま画像認識で始まったニューラルネットワークが音声処理や自然言語処理へと広がっている。ただし検索システム自体は公開しても、ページ内の類似性判断に用いているナレッジグラフ(グラフ型の知識情報)の集積という情報は門外不出。


■クラウド
2019年8月23日、アマゾン東京地区でサービスが6~10時間、ストップしPayPay等が停止したがオンプレミスでは障害が日常茶飯事。クラウドの事業継続性の方が高い。


■機能安全
ある程度、複雑になったシステムには絶対安全はないため出てきた考えが「機能安全」。システムに100%が求められないので、きちんと運用していなら大丈夫だろうというプロセス認証で、これがISO9000などになる。食の世界ではHaccpで、日本には流通から苦労して生魚を食べる鮨の文化などを阿吽の呼吸で生み出してきたが、牛肉ユッケ問題など伝統にないことをはじめ問題が増えてきたため意識改革が必要になっている。

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2021/04/17

殿様は「明治」をどう生きたのか

 【書 名】殿様は「明治」をどう生きたのか
 【著 者】河合敦
 【発行所】扶桑社文庫
 【発行日】2021/03/01
 【ISBN 】978-4-594-08696-1
 【価 格】800円


■請西藩主 林忠祟
信濃国林郷に足利義教に迫害された世良田有親、親氏という親子がやってきて林光政が貧しいながらウサギの吸い物を出して歓待。やがて親氏が三河の土豪になった時に家来となり、親氏から9代目が家康になります。幕末、林忠祟は新政府軍に反し、藩主自らが脱藩届を出して戦います。徳川家存続が決まったため降伏。唐津藩の小笠原家にお預けとなり、自由な身となった明治5年には請西へ戻って農民になります。窮状をみかねた家臣が御家再興となります。林忠祟が亡くなったのは昭和16年、最後の大名となりました。夜寝る時は心臓を突かれないように左を下にして横臥していました。


■尾張藩 徳川慶勝
高須藩松平家から養子に入り、松平容保、松平定敬は兄弟でしたが歳が離れていました。尾張藩は新政府側となり東海道、中山道に40名近くの家臣を派遣して新政府に味方するように説得。新政府軍は江戸まで無事に到達できました。


■篤姫
徳川慶喜の後の徳川宗家を継いだのが徳川家達。篤姫の薫陶をうけていたため徳川慶喜をきらっていたようです。篤姫は徳川家の存続を朝廷に嘆願しますが徳川慶喜についてはどうなってもいいと思っていたようです。そのため家達は「慶喜は徳川を潰した人、私は建てた人」と語っていたそうです。明治20年、家達が25歳の時に家達の千駄ヶ谷の屋敷に天皇が行幸します。261年ぶりのことでした。


家達は能力が高い人物だったようで大正3年には内閣を組織するようにと大命降下がありましたが、辞退しました。実現していれば徳川内閣が誕生していました。

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決定版 古代史の謎は海路で解ける

 【書 名】決定版 古代史の謎は海路で解ける
 【著 者】長野 正孝
 【発行所】PHP文庫
 【発行日】2021/02/16
 【ISBN 】978-4-569-90009-4
 【価 格】880円

「古代史の謎は海路で解ける」を加筆・再編集したものです。

■古代船は平底
赤間、水間、船越という地名がついているところは狭水道、分水嶺などで船をひいて進んでいました。宗像大社近くに赤間があり、邪馬台国の時代は海が内陸に入り込んでおり、赤間には船曳道がありました。

■曹操の運河
天津港から洛陽に向けて黄河(暴れ川)と離れた地域に運河を作っていました。洛陽までは約600kmで邪馬台国からの使者もこの運河を使って都へ行ったようです。曹操は軍船を投入し兵や食料を運んだ兵站に優れていました。

■郭務?
白村江の戦いで破れたあと、郭務?が百済の難民2000人をひきいて来日したと記録されていますが、47隻の艦隊を率いて筑紫や大宰府を占領します。これが671年11月。港が占領されたのか唐津、唐戸、唐泊という地名となった可能性があります。12月に天智天皇が亡くなり、672年5月に退去します。翌月6月に壬申の乱が発生しますが、何らかの関係があったのでしょう。

■対馬海峡
神功皇后が東松浦半島から対馬に渡っていますが潮にのれば対馬に行きやすかったからです。秀吉の朝鮮侵攻でも名護屋城は東松浦半島に造られました。対馬には一番狭いところで140mしかない小船越という地峡があり、船が島を回らなくても東と西を結ぶ船曳道がありました。対馬では幕末にポサドニック号事件が起き、ロシアに一時占領され群港が造られはじめましたが、イギリス公使オールコックが仲介に入り立ち退かせました。

■琵琶湖の水運
古代は水運が重要なため近江を抑えるのが一番でした。敦賀-長浜の峠越えの陸送が問題なため、清盛も秀吉も運河を作ることを計画していました。江戸時代は小浜藩に命じて疋田舟川を建設させました。大津から京都へは急流の瀬田川は使えず逢坂山を超えることになります。欽明天皇の時代、越国に高句麗の大船が漂着し、狭狭波山(ささなみやま・逢坂山)に引き上げさせたとあります。

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2021/04/10

お殿様の定年後

 【書 名】お殿様の定年後
 【著 者】安藤優一郎
 【発行所】日経BPマーケティング
 【発行日】2021/03/08
 【ISBN 】978-4-532-26455-0
 【価 格】850円


■柳沢吉保
六義園を造成した人物で和歌に造詣が深く、北村季吟から古今伝授を受けています。当時は甲府15万石でしたが1724年に大和郡山に国替えとなり、そのまま明治をむかえます。お国替えの時に22歳だった柳沢信鴻が藩主を30年ほど勤め1773年に隠居します。藩主から引退すると歌舞伎を見に行ったり、街中へ出たりと自由になります。また藩主が住む上屋敷から駒込下屋敷に移ります。ここにあったのが六義園です。


藩主時代は元旦といえば江戸城に行き年始の挨拶を行かなければならず大変でした。そこで詠んだのが「君恩に 先ず元日の 朝寝かな」です。


■松平定信
寛政の改革を行い質素倹約をすすめたため、「白河の 清きに魚も 棲みかねて もとの濁りの 田沼恋しき」と歌われました。失脚してからは改革で弾圧したはずの文化を振興しており、老中時代は役目柄やらざるをえなかったようです。「近世職人尽絵詞」のスタッフで登用されたのは四方赤良(大田南畝)、山東京伝などで寛政の改革で要注意人物になった人物ばかり。


■甲子夜話
甲子夜話で有名な平戸藩主・松浦静山が名言が「勝ちに不思議の勝ちあり 負けに不思議の負けなし」。松浦は九州で活躍した松浦党という武士集団で水軍で活躍しました。


■薩摩の武士
明治7年(1874年)総人口が3362万人で5%強188万人が武士とその家族。薩摩の武士とその家族は20万人を超えていて日本の武士の1割強を占めていました。

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東国武将たちの戦国史

 【書 名】東国武将たちの戦国史
 【著 者】西股総生
 【発行所】河出文庫
 【発行日】2021/02/10
 【ISBN 】978-4-309-41796-7
 【価 格】900円


■石神井城、練馬城、小沢城
長尾景春の乱の頃から出てきたのが一時的な城。敵の分断や連携の遮断、後詰の阻止、味方連絡線の確保に基づいて運用されるようになり小磯城、平塚城、溝呂木要害など陽動目的で、目的が達せられれば簡単に放棄されました。


■足軽の活用
応仁の乱で非正規兵(足軽)の有効性が知られることになり、戦国時代につながります。北条早雲の軍事行動は旧暦の8月前後(現在の9~10月)に集中していて収穫期なので略奪をエサに軍勢をかき集めていました。


■河越夜戦
闇の中で何が起きたかは永遠の謎。実際の戦いでは全ての状況が分からず誰がどこで何をしているかは分からないのが普通。上杉憲政は北条氏康が出てくる前に河越城を攻略する方法がありましたが、失敗すると寄りあい所帯の大軍が維持できなくなることを怖れた可能性があります。公方を擁する大軍が関東平野の中心に存在し上杉憲政が正式な関東管領であることを関東の諸勢力に印象づけるのが目的でした。


■山本管助
川中島の戦いで山本菅助は討死しますが、子供も同じ菅助を名乗り勝頼に仕え、長篠の合戦で戦死したようです。山本家は武田が滅んでからは家康に仕えることになり最終的には高崎松平家に仕官しています。


■小田原の役
箱根の屏風山に大部隊の布陣が可能で陣城が造られていました。山中城で数日間、秀吉軍を拘束している間に小田原を出撃した主力が屏風山を中心に展開して箱根で食い止めるのが北条側の作戦だったようです。ところが秀吉軍が多大な犠牲を払って一日で山中城を落としたため箱根防衛が崩壊することになります。

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2021/04/06

相続地獄

 【書 名】相続地獄
 【著 者】森永卓郎
 【発行所】光文社新書
 【発行日】2021/01/30
 【ISBN 】978-4-334-04518-0
 【価 格】760円

■ファミリーストーリの探し方
縁喜堂という会社の家系図作成サービス。行政書士が全国の役場に連絡して家系図を作成します。

■相続放棄
単純承認、限定承認、相続放棄の3種類あり、3ケ月以内に家庭裁判所に申請しなければならない。しないと単純承認とみなされ、相続税の支払いがある場合は死後、10ケ月以内に申告しなければなりません。

■博物館
一から作らずに「住み開き」という方法をとる。家を作って、その中に博物館を作ると固定資産税が減免されます。200平米以下の小規模住宅用地は固定資産税が6分の1に、都市計画税は3分の1に減免されます。200平米以上の一般住宅用地は固定資産税が3分の1に、都市計画税は3分の2に減免されます。

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