武田信玄 500年目の真実
【書 名】武田信玄 500年目の真実
【著 者】井沢元彦
【発行所】宝島社新書
【発行日】2021/03/24
【ISBN 】978-4-299-01342-2
【価 格】880円
江戸時代、軍師というと山本勘助というイメージでした。諸葛孔明のような人物といえば竹中半兵衛ですが徳川が敵とした豊臣でしたので、信玄を尊敬していた家康でもあり武田の山本勘助が取り上げられることになります。
■甲陽軍鑑
甲陽軍鑑ー武田4将の一人、高坂昌信(農民出身だが武田四名臣に)が書いたか家来に口述させたものを小幡景憲(父親が24将の一人、小幡昌盛)が完成させたもの。長く偽書といわれてていたが、使われている言葉が戦国時代のものと判明。
山本勘助は武田家と関係がないが足軽大将にまで昇進し、武田家では、かなり異質な存在。他に信虎時代から仕えた外様4人が24将に入っているが足軽大将どまり。武田家では能力が高くても大幹部になれませんでした。信玄の父親である信虎は実力主義だったようで、地元出身者を中心としたなかによそ者をいれたくないと考えた甘利虎泰や板垣信方が中心になって信虎を追放したと考えられます。
■星谷
信玄が天下をとった時に中心にしようとしていたのが相模国星谷。江戸や大坂のような海に面したところではない内陸部で、信玄の限界だったようです。
■天下布武
他の大名は天下を畿内と考えていましたが、ひょっとすると信長は最初から全国制覇を考えていたかもしれません。桶狭間の戦いの後、家康と同盟して後顧の憂いをたち、美濃から京都への西への道を作っていきます。また京都を抑えた信長は兵の乱暴狼藉を禁止。京都には1万人の消費者ができて経済が活性化します。
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