歪められた江戸時代
【書 名】歪められた江戸時代
【著 者】古川愛哲
【発行所】MdN新書
【発行日】2021/02/11
【ISBN 】978-4-295-20101-4
【価 格】891円
■武士
子供の頃から刀を差すため刀を差している左足の方が太くなります。大隈重信が明治になって初めて靴を作った時に右と左でサイズが違っていました。
懐に手ぬぐいを入れて歩いている時は公用で仕事をしにいく姿になります。町方の祭りの時に若衆が半纏に手ぬぐいを入れるのも氏神様への公用だからで、祭りの寄付のお礼が手ぬぐいなのは、これに起因しています。
■髪結い床
1町に1軒あり町内で費用を出す町抱えの公務員でした。髪結いはスリの監視など町内の人物監視をしていました。また町奉行所の近くで火事があった時は奉行所に駆けつけて書類を持ち出す義務もありました。
各大名家では家紋入りの羽織を出入りの与力などに渡しており、これが身分証となって火事の時などに自由に出入りできました。また出入りの商人などが羽織でかけつけケガをしたような場合、大名家で生涯の生活保障をしてくれました。
■このタコ
江戸時代の悪口で、御家人ならお目見以下でも、イカなので足が10本ある。幕臣以外の大名家臣はお目見以下なので、タコと馬鹿にしました。
■古着のリサイクル
亡くなった人の衣装は寺に集まり、寺が売ってリサイクルされていました。赤穂浪士の討ち入りで47士が武具を泉岳寺に納め、後で遺族が形見として返してほしいと申し出したら全て売られていて、これが大問題になりました。
大石内蔵助は川崎にある平間村名主の家に立ち寄っています。ここは浅野家と吉良家の下掃除で出入りしており間取りに詳しかったため情報収集と思われます。
■正式な町民
1722(享保7年)-名主は264人 玄関を構えることができ、訴状や土地売り渡し証文「沽券」への奥書も担当していました。この沽券(土地、家)を持っていることは江戸に住んでいる証明になるので、これが正式な町民でした。「沽券にかかわる」は、ここに由来しています。
■大家
20117人と決まっていました。欠員が出ると権利が売り出され長屋の規模に寄って20両~200両でした。森ビルの創始者も幕末に芝の大家になったところからスタートしました。
■年季
親方に年季や修行の内容などを誓約した年季証文を入れて徒弟修業するものが年季者。年季を入れるは修行することをいい、途中で辞めると食い扶持や衣料代などを返還しなければなりません。
■町火消
景気維持や消費需要を起こす時は反対に火事を出させたようで、勝海舟が西郷隆盛と江戸無血開城で交渉した時、「江戸には火付けが48人いるから、お前さんのでようによっては江戸を火の海にしてもいいんだぜ」と言ったと言われていますが、いろは48組のことでした。
■代官
水戸黄門で悪代官の悪事がばれて、「者ども出会え」と開き直ると、たくさんの侍が出てきますが実際は3人しかおらず代官との義理もないので速攻逃げます。それ以前に代官は割に合わない職で持ち出しの方が多く薄給でした。
■会計年度
江戸時代に年貢の米は旧暦の10月~3月までに納めることになっていました。旧暦の3月5日が幕府の会計年度の始まりで武家奉公人など1年契約者はこの日で交代でした。1679年(延宝7年)にこの日を3月晦日に変更します。明治になった時、旧暦を新暦にしましたが3月晦日を続けたため会計年度は4月スタートになっています。
■藪入り
盆の迎え火や中元の祭祀などを僧侶ではなく「野巫(やぶ)」と呼ばれる陰陽師が行っていました。野巫が要るから「藪入り」になったようです。
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