城郭考古学の冒険
【書 名】城郭考古学の冒険
【著 者】千田嘉博
【発行所】幻冬舎新書
【発行日】2021/01/25
【ISBN 】978-4-344-98611-4
【価 格】940円
■楽市楽座
岐阜城下の加納に下した永禄10年(1567年)の制札が残っており釘の跡などがあることから実際に野外に掲げられていたようです。翌年の制札はこういった跡はなく、野外ではなく市場の代表者が特権の証拠として保管したようです。他の制札と製作者が同じようで信長が複数の制札を保管しておき、必要に応じて寺社などの名前を書いて渡していたようです。
■城のデザイン 美意識にこだわったのが信長でした
安土城ー軒丸瓦、軒平瓦の文様は安土城独自で統一されていました。
豊臣大坂城ー瓦の文様が不揃い
■中国大返し
兵庫城に信長の御座所を作ろうとした改修の痕跡があり、信長の軍勢が移動しやすいように兵粮や武器、馬などを用意し、陣小屋群も備えていました。備中高松までの街道も整備し、各御座所には信長の進軍を連絡する情報要員も置いていたため本能寺の変も素早く伝わったようです。
■聚楽第
秀吉が名護屋城にいる間に秀次が堀を掘っている形跡がありました。無益な朝鮮出兵に対しクーデターを起こすつもりで準備していたようです。秀次を中継ぎにして秀頼に政権を渡す構想はこれでついえました。
■秀吉の家康対策
伏見城-公 家康
大坂城-私→公へ 大名屋敷を整備して大名を住まわせ家康を孤立化
秀吉が亡くなったために伏見城に大名屋敷が残り、うまくいかなかった。ただ京都新城も作っており秀頼を公家として存続させる計画もあった模様。
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