戦国大名の戦さ事情
【書 名】戦国大名の戦さ事情
【著 者】渡邊大門
【発行所】柏書房
【発行日】2021/01/10
【ISBN 】978-4-7601-5305-3
【価 格】1800円
■軍装の統一
騎馬武者も徒武者も皮笠でもよいので借用しろと一定の軍装を求めている古文書が残っており、乱れた格好をしていると相手から侮られるからで、軍装が整っていると強そうだと相手に印象づけられます。武田軍の赤備えなどは相手に畏怖を与えていました。
■就業規則
北条氏が小曲輪の守備について書いた文章が残っていますが、けっこう細かな規定で毎日、日報まで書かせていました。
■大坂の陣
真田丸で散々な目にあった前田勢ですが、あとで敗北の分析が行われています。陣所を移す時に組頭の命令に従わず先へ行こうとしたこと、鉄砲の者を連れ、撃たせなかったなどなどです。
■織田信長の制札
織田信長が武田勝頼を滅ぼした時に信州の南方村に禁制を交付していますが、御判銭、取次銭、筆耕の徴収禁止が書かれていて、通常はお金を出して禁制をもらうのですが信長は禁じていたようです。
秀吉の備中高松城の水攻めで吉備津神社が禁制を求め御判銭を支払うことになっていましたが、なかなか支払われないので増田長盛が銀子10枚を出せと命令した文書が残っています。お金と交換ではなく、このケースでは後払いだったようです。それでも支払われなかったようで原田直次が個別交渉した記録も残っています。銀子10枚(100万円ほど)という相場が高すぎた面もあるようです。
■兵粮科所
室町幕府時代、年貢を1年に限り兵糧米に充てるように指定した所領です。負担率は1/3~1/2でした。観応3年(1352)には美濃、尾張、近江が兵粮科所となり、翌月には伊勢、志摩、伊賀、和泉、河内が追加されました。そうこうしている間に守護が朝廷からの承認をえずに軍備調達を口実に、兵粮科所を勝手に設定し、荘園の侵略がすすむことになります。
■愛宕百韻
明智光秀が「ときは今 あめが下知る 五月哉」とよみ本能寺の変の意思表示と言われていましたが、情報漏洩の面から考えられず、毛利氏を成敗して天下を治める決意という解釈が順当のようです。
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