信長が見た戦国京都
【書 名】信長が見た戦国京都
【著 者】河内将芳
【発行所】法蔵館文庫
【発行日】2020/09/15
【ISBN 】978-4-8318-2614-5
【価 格】900円
戦国時代の京都はコンパクトになっていて総構に囲まれた上京と下京が中心でした。洛中の西の端は大宮大路で神泉苑の東側の築地塀だけは室町時代に修理が繰り返されていました。築地は大宮大路に面していたからのようです。街中には櫓門や木戸門が供えられ本能寺は下京の総構の一部であったので幅4m以上、深さ1.5m以上の堀がありました。京都は城塞都市でした。また戦いでは堀も掘られました。
■永禄2年 信長上洛
長尾景虎が上洛した時と同じ年に信長も上洛しています。足利義輝は三好長慶と和睦しており京都に戻っていました。この時は妙覚寺が仮の御所になっていて、この後に武衛陣と呼ばれる新しい御所に移ります。信長が将軍に会ったとすると妙覚寺になります。義昭の御所は石垣を用いた二重の堀で天主と呼ばれた三重櫓もありました。
9年後に足利義昭を奉じて上洛した時は義昭の御所を武衛陣跡に建て、自身は妙覚寺に入ります。
■祇園祭 鉾の町名
山伏山町、天神山町、四条かさほく町(現在の笠鉾町)、綾小路あしかり山町(芦刈山町)と当時から鉾の名前がついた町名がありました。
■半井ろ庵
信長が永禄13年に上洛した時にろ庵の屋敷に泊まったと信長公記に出てきます。半井ろ庵とは医師で有名だったようで、当時は「ろあん町」という町名があったそうです。
■五条の橋
現在の橋は秀吉が移したもので、それ以前は一本北側の松原橋の位置でした。当時は川中に島があり二本の橋でした。上杉本洛中洛外図屏風を見ると五条橋と四条橋しかなく戦国時代に三条橋はなかったようです。
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