ここまでわかった本当の信長 知れば知るほどおもしろい50の謎
【書 名】ここまでわかった本当の信長 知れば知るほどおもしろい50の謎
【著 者】渡邊大門
【発行所】光文社知恵の森文庫
【発行日】2020/10/20
【ISBN 】978-4-334-78792-9
【価 格】800円
いろいろとイメージが変わる織田信長ですが現在、わかっている最新実像について紹介しています。
■本願寺
幕府には本願寺を担当する奉行人が存在し、幕府と本願寺の取次をしていました。加賀の富樫氏を本願寺が倒したので大名とみなし内裏の修理料などを諸国の大名にに命じていましたが本願寺にも命じていました。
本願寺は三好三人衆とも良好の関係にあったことから信長をいきなり攻撃し、信長は大いに驚くことになります。最終的に信長とは和睦しますが信長は本願寺を解体することなく教団としての存続は許しました。
■義元佐文字
今川義元の愛刀でしたが桶狭間の戦いで破った信長のものとなったことで有名な義元佐文字です。もともとは三好政長(宗三)が所持していたので宗三佐文字とも呼ばれます。次に刀が渡ったのが信玄の父親である武田信虎です。宗三が贈ったものです。信虎は今川義元と同盟を結ぶために娘を輿入れさせますが、この時の引き出物として宗三佐文字が今川義元にわたります。信長のあとは秀吉、秀頼、家康と伝わることになります。
■荒木村重の謀反
信長につくより毛利についた方が得だと判断しました。大坂方面の司令官は佐久間信盛が担当し、中国方面の司令官は秀吉だったので将来を悲観した点もあり、こうなると光秀とよく似ています。また摂津の牢人衆や百姓が本願寺と結びつき一揆を起こそうで、追い詰められた村重は信長を裏切ることになったという説もあります。
■暦の変更
朝廷がもっていた暦を制定する役割を無理やり奪おうとしたと、よく言われていますが実際は朝廷が使っていた宣明暦が天正10年6月1日の日食を予測できなかったことにあるようです。朝廷では日食時にムシロで御所を覆い不吉な光から天皇を守るようにしましたが暦が不正確では天皇を守れないと考えていた説があります。また地方によって暦がバラバラだったので統一する機運もあったようです。
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