日本の中世日本史
【書 名】日本の中世日本史
【著 者】呉座勇一
【発行所】新潮選書
【発行日】2014/01/25
【ISBN 】978-4-10-603739-9
【価 格】1500円
副題が「下剋上は本当にあったのか」です。
■蒙古襲来
九州に所領をもち東国の御家人が九州にやってくるまで沿岸警備に向かったのは九州在住の御家人たち。遺言状を書いて戦争にのぞみます。
■大田文
大田文(荘園などの面積や所有者を網羅した土地台帳)があり、幕府が御家人に軍役をかそうと提出を求めますが、大田文が失われている国が多く、あわてて幕府は全国の守護に大田文を作成し直して提出させます。結果、御家人領が本来の名義人から変わっているケースが続出。これでは軍役を課せません。蒙古襲来絵詞の竹崎季長も所領無しで親戚などから人を借りていました。しょうがないので出されたのが徳政令で御家人の所領取り戻しを認め、軍役を課しました。
また戦時体制のため御家人だけでなく本所一円地(荘園の住人=武士)にも動員をかけます。恩賞を与える責務を幕府が負うことになります。
■有徳人(うとくにん)
年貢の代銭納制ができたことで現物ではなく、現地で米、塩などを換金して銭として中央に納める方法です。商品が全国各地をまわるようになり市ができ市場経済ができあがります。絹や麻などの繊維製品の代銭納化は1220年代、米は1270年代に行われます。背景にあったのがモンゴルが銅銭を禁じて紙幣流通を決めたたため中国から日本や東南アジアにたくさんの銭の輸出が行われたことです。中心になったのが僧侶で、金もうけする有徳人になりました。
■山城の登場
太刀や槍を持つ騎馬武者が登場し南北朝になると三枚打弓という飛距離が長い弓が登場し、遠距離からの攻撃が可能になったことから山城が登場しはじめます。
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