反省記
【書 名】反省記
【著 者】西和彦
【発行所】ダイヤモンド社
【発行日】2020/09/08
【ISBN 】978-4-478-10805-5
【価 格】1600円
■アルテア8800
MITS社がインテル8080を使って作り上げたマイコン・キット。メモリー容量がわずか4キロバイトしかないのに、そこにBASICを入れようと考えたのがビルゲイツとポールアレン。現物を持っていなかったのでハーバード大学の大型コンピュータにシミュレータを入れて8週間で書き上げました。1975年春にMITS社に持ち込み30万ドルでライセンスを供与。
1978年、早稲田大学理工学部3年生でアスキー出版を設立したビルゲイツに国際電話。マイクロソフトがどこにあるか分からないが、きっとMITS社があるアルバカーキ―にあるはずだとオペレーター経由で電話するとビルが出た。変な東洋人からの電話にアメリカに来るなら会うという返事。アナハイムで行われる全米コンピュータ会議で会う約束を取り付ける。NECからTK-80が発売された頃でBASICをNECに売り込むことになり東アジア市場における独占販売権をアスキー出版に与える契約となるが契約書はわずか3ページ。
■フォーカス
トイレの電球は10ワット、机のスタンドは100ワット。ところが1ワットのレーザー光で3キロメートル先を照らすことができる。集中することでパワーが出る。
■工学社からアスキー出版へ
星正明ーCQ出版で雑誌インターフェースの編集者
郡司明郎-大学の紹介で入った下宿先の大家の息子。コンピュータ・アプリケーションズのプログラマ
塚本ー電気通信大学の学生でマイコン同好会の設立メンバー
4人の共同出資で作ったのが工学社で月刊I/Oを創刊、ところがゲーム中心の誌面となっていたため半年後に飛び出して資本金300万円で1977年5月にアスキー出版を設立
書店周りをしても、どこも置いてくれない。断られるとトイレを貸してほしいと雑誌を店先においておくと郡司さんが客を装って入っていき、雑誌を見つけて感心しながら買う作戦。大概は仕入れる話になります。たまたまこの作戦をしていると本当に買っていくお客さんがいて最敬礼。
■CP/M
1977年秋、ビルゲイツに会う前にデジタルリサーチ社を訪問。社員がたった4人しかいなかった時代。ゲイリー・キンドールからCP/Mを買って日本での独占販売権も獲得。沖電機の開発中のマシンにのせることになり、苦労したのが古川亨。これがIF-800となる。
IBMがIBM-PCを開発することになった時にBASICとOSが欲しいとマイクロソフト社に依頼がある。念頭にあったのはIF-800用のOKI-BASICで問題はなし。OSがなかったのでビルはキンドールを紹介することなり電話。キンドールは不在だったので大事なお客さんがデジタルリサーチ社に行くと伝言。IBMが訪ねるとまたキンドールは不在で秘密保持契約を求められた奥さんはサインを拒否。これがMS-DOS開発につながっていきます。女神は2度、サイコロを振ったが2度ともキンドールはいるべき場所にいなかった。
■マウスの2ボタン
ゼッロクスのSTARにはマウスに3つのボタン。アップルのLISAは1つ。ビルゲイツは当時、ジョブズと仲が悪かったのでボタンは2つと決まる。
■融資
中山素平から融資を受けた時、いい会社になってお金を返すではダメ。いい会社になって、もっとたくさんお金を借りますならOK。有意義な事業を育てるために融資するのがバンカーの仕事。
■松下幸之助の教え
10人と仕事をする時は、ああせい、こうせいと命令できる
100人と仕事をする時は、教えるような気持ちで仕事をせんとあかん
1000人と仕事する時は、君ら頼むは、一つよろしくお願いしますという気持ちじゃないと私語がでけへん。
10000人と仕事する時は諸君らの幸運を祈るような気持ちでないと1万人の人は動いてくれない
■大川功の言葉
お金は使うまで冷え冷えしたもので、使って初めて温かいものになる
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