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2020/09/26

歴史の中で語られてこなかったこと

 【書 名】歴史の中で語られてこなかったこと
 【著 者】網野善彦・宮田登
 【発行所】朝日文庫
 【発行日】2020/08/30
 【ISBN 】978-4-02-262019-4
 【価 格】900円

副題が「おんな・子供・老人からの日本史」になっていて対談集になっています。

■百姓
百の姓という様々な職業の意味だったのが壬申戸籍で百姓・水呑みを全て農にしてしまったので80%百姓だったのが80%農民になってしまいました。

■養蚕
中世の荘園では桑を大・中・小に分けて検注し、税金も違っていました。桑から糸を作って着物を作ることが家庭で行われていました。富岡製糸工場で氏族の女性が働いているので武士の妻も着物を作っていたようです。
東日本では蚕の神様が「おしら様」になります。
絹は高級品ではなく庶民も来ていたようで、9世紀前半、多気郡だけで桑が14万本も植えられていました。伊勢国は絹を年貢にしており、尾張も美濃も絹を年貢にしていました。百姓が麻の寒々とした着物を着て田仕事をするというのはイメージでしかありません。
養蚕は女性の仕事でしたので、自分で作り相場を見て苦労して売って稼いでいたようです。ルイス・フロイスが夫婦の財布が別で、時に妻は夫に高利で金を貸すと驚いていますが、当たり前だったんですね。また志摩国の泊浦の江向では家主の名前が女性が多く、家地の売買も中世前期ではしていたようです。
大嘗祭で天皇が白い衣に包まれるのは繭の様子をあらわしているのではという説があります。

■談合
相談、談合は中世から使われ、団子坂の由来も根津権現で話し合いをした談合に由来しています。国守が徴税令書や仮の請取書を渡しますが、これを切符、切手といっており、この11世紀の文章が小切手の語源になります。「しつけ(躾)」は苗代で丁寧に育てて雑草などが入り込まないようにしたことからきています。

■正装
昔は葬式で女性は振袖衣装というのが普通でした。終戦直後、戦没者の慰霊で地方から寡婦となった女性が振袖姿で来たと非難した記事が新聞に載りました。正式なのは振袖で黒の喪服というのは東京の間違った感覚したが、いつのまにか喪服に統一されてしまいます。

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