清須会議
【書 名】清須会議
【著 者】渡邊大門
【発行所】朝日新書
【発行日】2020/07/30
【ISBN 】978-4-02-295076-5
【価 格】850円
副題が「秀吉天下取りのスイッチはいつ入ったのか?」です。1次資料をもとに秀吉の天下取りに注目していますが、京都をおさえたのが強みになりました。
■秀吉と信忠との関係
信忠が若衆の頃に公家から恋慕されたことがあり、秀吉が「秀吉に目をかけている」と信忠が言えば、既に相手がいると公家もあきらめるだろうということです。
■清須会議
三法師への跡目相続は既定路線で信雄、信孝のどちらが名代になるかで揉めましたが、宿老が中心に運営していくことになりました。その後の領知配分で秀吉は山城をおさえることになります。その後、信雄、信孝は尾張と美濃の境目で揉めて不仲になり、結局、秀吉が信長の葬儀を中心になって行うことになります。
■伊勢の戦い
天正11年2月10日、秀吉側は峯城を包囲して陣をおき、桑名城には外構えまで放火。亀山城の惣門、端城を取り巻いていました。また信雄と連携していたので清須にある大筒を熱田から運搬しろと信雄の意向を伝えています。
家康・信雄連合軍と戦った天正12年3月、津の織田信包は亀山城の堀秀政、長谷川秀一、滝川一益とともに信雄側の軍勢を追い払い峯城に退きました。
■柴田勝家との闘い
秀吉は塩津などで人留め(通行禁止)をして情報が漏れないように管理しました。
■大坂城築城
千塚(八尾)の石がよいと千塚から若江まで石を運ぶための道を作るように指示した文章が残っています
■滝川勝利
木造具康の息子で信長に仕え、その後は信雄と秀吉に仕えていました。長久手の戦い時は松ヶ島城で家康が和で戦っていましたが降伏します。
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