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2020/08/29

清須会議

 【書 名】清須会議
 【著 者】渡邊大門
 【発行所】朝日新書
 【発行日】2020/07/30
 【ISBN 】978-4-02-295076-5
 【価 格】850円


副題が「秀吉天下取りのスイッチはいつ入ったのか?」です。1次資料をもとに秀吉の天下取りに注目していますが、京都をおさえたのが強みになりました。


■秀吉と信忠との関係
信忠が若衆の頃に公家から恋慕されたことがあり、秀吉が「秀吉に目をかけている」と信忠が言えば、既に相手がいると公家もあきらめるだろうということです。


■清須会議
三法師への跡目相続は既定路線で信雄、信孝のどちらが名代になるかで揉めましたが、宿老が中心に運営していくことになりました。その後の領知配分で秀吉は山城をおさえることになります。その後、信雄、信孝は尾張と美濃の境目で揉めて不仲になり、結局、秀吉が信長の葬儀を中心になって行うことになります。


■伊勢の戦い
天正11年2月10日、秀吉側は峯城を包囲して陣をおき、桑名城には外構えまで放火。亀山城の惣門、端城を取り巻いていました。また信雄と連携していたので清須にある大筒を熱田から運搬しろと信雄の意向を伝えています。
家康・信雄連合軍と戦った天正12年3月、津の織田信包は亀山城の堀秀政、長谷川秀一、滝川一益とともに信雄側の軍勢を追い払い峯城に退きました。


■柴田勝家との闘い
秀吉は塩津などで人留め(通行禁止)をして情報が漏れないように管理しました。


■大坂城築城
千塚(八尾)の石がよいと千塚から若江まで石を運ぶための道を作るように指示した文章が残っています


■滝川勝利
木造具康の息子で信長に仕え、その後は信雄と秀吉に仕えていました。長久手の戦い時は松ヶ島城で家康が和で戦っていましたが降伏します。

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太陽と乙女

 【書 名】太陽と乙女
 【著 者】森見登美彦
 【発行所】新潮文庫
 【発行日】2020/07/01
 【ISBN 】978-4-10-129055-3
 【価 格】850円


森見登美彦のエッセイです。


■深泥池
幽霊で有名な池ですが、「深泥池奇談」(綾辻行人)という本があるんですね。


■アイデア量不変の法則
たくさんのアイデアを書くためにノートを用意してもアイデアの出る量は一緒。


■ペンネーム
ナガスネヒコでは語呂がわるいと古事記からナガスネヒコの異名である登美彦の名前を見つけ出す。両親の家のすぐ近くが登美ヶ丘でナガスネヒコゆかりの地でした。


■小説「太陽の塔」の書き出し
何かしらの点で、彼らは根本的に間違っている
なぜなら、私が間違っているはずがないからだ


■小説「夜行」
大阪の予備校に通っていた頃、大阪側で近鉄電車を降りて歩いて生駒山を超えたことがあり、2016年にケーブルカーの宝山寺駅で降りて生駒聖天にお参りしてから山頂へ行くこともしばしばあったそうです。この頃は「夜行」が書けず鬱屈していた頃だそうです。


■オッカムの剃刀
化学的単純性の原則 オッカムというイギリスの哲学者が作った言葉
「ある現象を説明するための仮設を立てる時、必要以上に複雑なものであってはならない」で「よりシンプルに説明できないか」ということです。

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漫画「獺祭」の挑戦

 【書 名】漫画「獺祭」の挑戦
 【著 者】弘兼憲史
 【発行所】サンマーク出版
 【発行日】2020/07/15
 【ISBN 】978-4-7631-3841-5
 【価 格】1200円

実家の旭酒造を継いだが苦難続き。奥さんが石材業をしていて、こちらの利益をまわすことで会社は存続できていました。杜氏が辞めるなどのアクシデントに対処するところから新しい日本酒が生まれます。ところが旭酒造のイメージがあるので安いお酒でしか扱ってくれません。川獺が獲った魚を河原に並べるのが、神仏のお供えをしているように見えるので獺祭と呼んでいたことから新しい酒銘にします。ここから快進撃がはじまります。

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2020/08/23

日本書紀に秘められた古社寺の謎

 【書 名】日本書紀に秘められた古社寺の謎
 【著 者】三橋健
 【発行所】ウェッジ
 【発行日】2020/07/20
 【ISBN 】978-4-86310-225-5
 【価 格】1300円

■伊勢神宮
諸説ありますが太陽信仰の聖地で、土着の渡会氏が太陽神を祀っていたが雄略記にアマテラスが祀られることになり、渡会の神様は御饌都神として外宮の豊受大神になったという説があります。また「続日本紀」に多気大神宮を渡会に移すとあり、滝原宮から移った説もあります。こうなると698年に内宮ができたことになります。

■熱田神宮
ヤマトタケルが置いていった草薙剣を祀っていたところ、楓の樹があり燃えて水田に倒れたので熱田と言う名前になりました。熱田神宮の南にある氷上姉子神社が草薙剣が安置された宮簀媛(ヤマトタケルの妃)の旧宅跡地で、ここが熱田神宮の元宮です。

■ヤマタノオロチの剣
日本書紀にスサノオがヤマタノオロチを退治した十握剣は吉備の神主にあると書いてあり、岡山の石上布都魂神社にあったようです。ここが石上神宮の元宮だったようです。

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2020/08/15

流浪の戦国貴族 近衛前久

 【書 名】流浪の戦国貴族 近衛前久
 【著 者】谷口研語
 【発行所】中公新書
 【発行日】2020/03/30
 【ISBN 】978-4-12-101213-5
 【価 格】880円

信長、秀吉、家康時代を生き抜いてきた公家です。公家というと都の御所にずっといるイメージですが、近衛前久は実に行動的で上杉謙信と盟約を結んで越後や関東に足をのばしています。川中島の戦いで上杉謙信と武田信玄の一騎打ちが行われた説がありますが、近衛前久が謙信に送った手紙に「自身太刀打ちにおよばるる」が拡大解釈されて、生まれた説です。

近衛前久は足利義昭とは反目していたようで足利義昭が信長に敗れて三好長慶の跡を継いだ三好義継の若江城に入った頃には丹波へ移っています。やがて京都へ戻り、信長との関係は良好になります。鷹狩りや馬の扱いなど共通する趣味もありました。本願寺との和平交渉も担当していました。近衛といえば摂関家の筆頭でしたが、公家の階級を取り組んだのが秀吉です。無理やり関白となり豊臣家を創設します。これを元に戻したのが家康でした。

天正6年に普賢寺に1500石が与えられ別邸を建てています。島津にも荘園があったため島津義久、義弘のもとも訪ね関係を築いていました。関ケ原の合戦で島津の退き口が行われた時に逃げ遅れた薩摩の家臣を庇護しています。

京都の屋敷は二条御殿の隣に建てられましたが本能寺の変の時、織田信忠が籠る二条御殿に向かって近衛邸の上から鉄砲や矢が撃ち込まれたために、当時の本能寺の変黒幕説で真っ先に疑われたのが近衛前久です。実態は明智の兵が占拠したものでしょう。

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2020/08/08

日本史ひと模様

 【書 名】日本史ひと模様
 【著 者】本郷和人
 【発行所】日経BP
 【発行日】2020/07/08
 【ISBN 】978-4-532-26432-1
 【価 格】880円


■お守りをゴミ箱に捨てられるか?
1年を過ぎたお守りは神社に納めるのが基本だが、そうしている人は少なく、かといってゴミ箱に捨てる人も少なく、うやむやのうちに処分しているようです。


■久松松平家
家康の生母のお大の方は実家に戻され久松家に再嫁し、やがて家康から松平の姓を下賜され久松松平家となりました。3人兄弟がいましたが末の定勝の子孫が「その時歴史が動いた」を担当したNHKアナウンサーの松平定知さんになるそうです。


■ヘボン
高橋是清が子供の頃、ヘボン塾でヘボン夫人に英語を学んでいました。ヘボン式ローマ字で有名です。今風に言うと「ヘップバーン」で、キャサリン・ヘップバーンは一族になります。


■岩﨑久弥
岩﨑弥太郎の長男で三菱財閥第三代総帥。引退した後に北海道農業の近代化に努め「男爵いも」はこの岩﨑久弥の爵位にもとづいたものです。

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