神社に秘められた日本史の謎
【書 名】神社に秘められた日本史の謎
【著 者】新谷尚紀
【発行所】宝島社新書
【発行日】2020/05/23
【ISBN 】978-4-299-00512-0
【価 格】860円
意外と知らない神社の歴史的な話です。
神社を「じんじゃ」と呼ぶのは明治以降で、それ以前は「ヤシロ、ミヤ」と呼んでいました。
中世に蟻の熊野詣といわれるほど熊野詣が流行しましたが、特に白河院や鳥羽院など院政期に盛んになりました。これは天皇は天照大神に奉仕するのが原則で私的な祈願はタブーだったため、天皇を退位して上皇になったのならそんな制約はなくなったと熊野詣に皆が行ったためでした。
神社には摂社と末社があります。摂社は本殿に祭られている祭神と深い縁故のある神々を祀る社で、末社はそれ以外の神。昔からその土地で祀られていた神であることが多いです。もともとの祭神が末社や摂社に祀られることもあります。
■他田坐天照御魂神社(おさだにますあまてるみたま:桜井)
天照大神という太陽神アマテルを祭っていて、テルの敬語がテラスとなりアマテラスとないます。
■縁起
祭神の起源や由来などの伝承を文章に残したもの
■社家
特定の神社の神職を世襲する家柄
■大元宮
文明16年(1484)、吉田山に八角形の神殿が造られ、これが大元宮。日野富子の援助によって吉田兼倶が造営したもので日本のあらゆる神をまつっていました。
■八坂神社
明治の神仏分離で祭神が牛頭天王(仏教系)からスサノオに変更になりました。もともとは祇園天神だったようです。
■稲作の普及
紀元前10世紀後半には九州の玄界灘沿岸で稲作が始まっていたことが明らかになっています。650年ほどかかって東北までに普及していきますが、稲作には灌漑などシステムが必要で労働力を統率できる必要があります。古墳文化が水田稲作が定着しなかった東北地方北部になかったように、労働の動員力ができなかった背景がありそうです。
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