永青文庫の古文書
【書 名】永青文庫の古文書
【著 者】熊本大学永青文庫研究センター
【発行所】吉川弘文館
【発行日】2020/05/10
【ISBN 】978-4-642-08386-7
【価 格】1,800円
熊本藩細川家に伝わる古文書です。
■明智光秀
高嶋田中城で籠城していたことが分かっており、足利将軍家の足軽衆でした。細川藤孝の中間だったという記録もあり、光秀が田中城で薬の調合法を伝えた沼田勘解由左衛門尉の妹は細川藤孝の妻という関係でした。
■足利義昭追放
天正元年(1573)に決裂しますが、細川藤孝が間に入って和睦の交渉をしていました。ギリギリまで交渉していましたが最後は義昭側から断交したようです。
■戦の動員
支配地から動員するには石高制で実施し、明智光秀などの領国支配によって形成されていきますが、信長の動員は旧態依然としたままで知行高で動員するのではなく光秀にみあった軍功を暗黙に要求して成果を評価していました。これは直臣大名を動員する信長の権力と、知行地から動員する直臣大名の権力にずれがあり矛盾が拡大していくことになります。
■細川藤孝
元亀二年(1571)、信長は勝竜寺要害の普請に動員する権利を与えており、この頃には主従関係ができていたようです。
■葡萄酒
山ぶどうの一種「がらみ」を原料にして黒大豆を発酵させた葡萄酒を寛永4~7年に作っていましたが、目的は薬として効用です。ただキリシタン禁止がすすむとキリシタンとのイメージが強いため製造をやめました。他にもアヘンを作っていたようです。中津の下村己安(いあん)という医者が病気になった時に医師を派遣して服用したようですが、この下村という医者は山本勘助の孫にあたるそうです。
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