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2020/07/20

戦国大名の経済学

 【書 名】戦国大名の経済学
 【著 者】川戸貴史
 【発行所】講談社現代新書
 【発行日】2020/06/20
 【ISBN 】978-4-06-520015-5
 【価 格】1000円

■幕府の収入
守護出銭(定額出資)-幕府内での地位確保手段として守護が支払う。幕府から離反すると収入が不安定に
土倉役(営業税)-徳政要求による武装蜂起で土倉などの金融業者が被害に

■鉄砲
長篠の戦で1000の鉄砲を用意しましたが、1つ8貫500文(50~60万円)で計算すると8500貫文(5~6億円)になります。

■兵糧は自弁
領知を与えているので兵糧は自弁でしたが、籠城戦が長くなるなど大名が用意することが増えます。永禄4年(1561)には北条氏が大湊(伊勢)から米を緊急に買い付けたりしています。上杉謙信が小田原城を攻撃した時で、兵に配る兵糧用でした。

■大名の収入
年貢、公事(朝廷の行事に必要な物資や労働への課税)、段銭(遷宮などの国家的事業で徴収する臨時税)、関銭

■信長
小牧城に移った時に国中闕所を命じました。荘園などの様々な利権をすべて白紙にする政策です。また西岡地区の一識を細川藤孝に命じていますが、地域一帯の統治一切をゆだねることで領内の闕所地(敵対勢力の旧所領など)を摂取し、自らの家臣に配分できました。

■倭寇
日本人だけでなく明も中心になっていました。王直は五島や平戸にも拠点をおいて密貿易をしていました。種子島に鉄砲をもたらせたポルトガル人が乗っていたのが、この王直の船でした。またポルトガル人もからんでいました。彼らはフランキと呼ばれ、フランク族が語源で大砲もフランキ砲と呼んでいました。

天文13年(1544)には大隅半島で中国人商人とポルトガル人との紛争が発生。領主が巻き添えで亡くなり、大砲や鉄砲でジャンク船を破壊して大勢が死んだようです。

加藤清正が朝鮮侵攻と同時にマニラとの交易をすすめていました。銀や小麦粉を輸出し、絹製品や鉛を輸入していました。鉛は鉄砲に弾になります。

■信長の撰銭令
中国では朝貢貿易から貿易禁止などで密貿易が中心になりますが、銭の供給が絶たれることになります。悪銭が流通しますが、当時の朝廷はそんなことは気にしてなかったようで上洛した信長の献金に悪銭が混じっていると非難されます。撰銭令を出す背景には、こんな一件があったのですね。またこの当時、ビタ一文のビタという言葉が使われるようになります。銭が足りないことから西日本では銀がやがて使われるようになります。徳川政権で金、銀、銭の3つが複雑に使われる背景となります。

■木村次郎座衛門尉
安土の行政担当になった人物で信長が進出する前かた常楽寺港を支配する地元の領主でした。琵琶湖水運を支える湊なので信長は味方に引き入れます。安土城の普請や城下町の監督も務めました。本能寺の変の後、蒲生賢秀が信長の家族を連れて退去すると安土城を守ります。明智光秀の攻撃をうけ百々橋で戦死しました。

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