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2020/07/31

神社に秘められた日本史の謎

 【書 名】神社に秘められた日本史の謎
 【著 者】新谷尚紀
 【発行所】宝島社新書
 【発行日】2020/05/23
 【ISBN 】978-4-299-00512-0
 【価 格】860円


意外と知らない神社の歴史的な話です。


神社を「じんじゃ」と呼ぶのは明治以降で、それ以前は「ヤシロ、ミヤ」と呼んでいました。


中世に蟻の熊野詣といわれるほど熊野詣が流行しましたが、特に白河院や鳥羽院など院政期に盛んになりました。これは天皇は天照大神に奉仕するのが原則で私的な祈願はタブーだったため、天皇を退位して上皇になったのならそんな制約はなくなったと熊野詣に皆が行ったためでした。


神社には摂社と末社があります。摂社は本殿に祭られている祭神と深い縁故のある神々を祀る社で、末社はそれ以外の神。昔からその土地で祀られていた神であることが多いです。もともとの祭神が末社や摂社に祀られることもあります。


■他田坐天照御魂神社(おさだにますあまてるみたま:桜井)
天照大神という太陽神アマテルを祭っていて、テルの敬語がテラスとなりアマテラスとないます。


■縁起
祭神の起源や由来などの伝承を文章に残したもの


■社家
特定の神社の神職を世襲する家柄


■大元宮
文明16年(1484)、吉田山に八角形の神殿が造られ、これが大元宮。日野富子の援助によって吉田兼倶が造営したもので日本のあらゆる神をまつっていました。


■八坂神社
明治の神仏分離で祭神が牛頭天王(仏教系)からスサノオに変更になりました。もともとは祇園天神だったようです。


■稲作の普及
紀元前10世紀後半には九州の玄界灘沿岸で稲作が始まっていたことが明らかになっています。650年ほどかかって東北までに普及していきますが、稲作には灌漑などシステムが必要で労働力を統率できる必要があります。古墳文化が水田稲作が定着しなかった東北地方北部になかったように、労働の動員力ができなかった背景がありそうです。

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2020/07/26

夢をかなえるゾウ4

 【書 名】夢をかなえるゾウ4
 【著 者】水野敬也
 【発行所】文響社
 【発行日】2020/7/14
 【ISBN 】978-4-86651-240-2
 【価 格】1,580円


4作目は死がテーマになっています。余命3ケ月を宣告された会社員の前に現れたのがガネーシャと死神。「死ぬまでにやりたいことリスト」を作る、死後に必要な手続きを調べるについてはなるほどですね。


■死神の教え 人間が死に際に公開する十のこと
・本当にやりたいことをやらなかったこと
・健康を大切にしなかったこと
・仕事ばかりしていたこと
・会いたい人に会いに行かなかったこと
・学ぶべきことを学ばなかったこと
・人を許さなかったこと
・人の意見に耳を貸さなかったこと
・人に感謝の言葉を伝えられなかったこと
・死の準備をしておかなかったこと
・生きた証を残さなかったこと


■ガネーシャの教え
・健康に良いことをはじめる
・死後に必要な手続きを調べる
・お金の問題がなかったらどんな仕事をしたいか夢想する
・大きな夢に向かう小さな一歩を、今日踏み出す
・人に会ってわだかまりをとく
・「死ぬまでにやりたいことリスト」を作る
・経験したことのないサービスを受ける
・節約を楽しむ
・思い切って仕事を休む
・自分の体に感謝する
・身近な人に感謝の言葉を伝える
・周囲の期待と違う行動を取る
・限界を感じたとき、もうひと踏ん張りする
・両親の生い立ちを知る
・かなえてきた夢を思い出す
・他者の欠点を受け入れる姿勢を持つ
・見る場所を変える
・相手の背景を想像する
・他人に完璧さを求めている自分に気づく
・つながりを意識する時間を持つ
・喜怒哀楽を表に出す

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2020/07/20

戦国大名の経済学

 【書 名】戦国大名の経済学
 【著 者】川戸貴史
 【発行所】講談社現代新書
 【発行日】2020/06/20
 【ISBN 】978-4-06-520015-5
 【価 格】1000円


■幕府の収入
守護出銭(定額出資)-幕府内での地位確保手段として守護が支払う。幕府から離反すると収入が不安定に
土倉役(営業税)-徳政要求による武装蜂起で土倉などの金融業者が被害に


■鉄砲
長篠の戦で1000の鉄砲を用意しましたが、1つ8貫500文(50~60万円)で計算すると8500貫文(5~6億円)になります。


■兵糧は自弁
領知を与えているので兵糧は自弁でしたが、籠城戦が長くなるなど大名が用意することが増えます。永禄4年(1561)には北条氏が大湊(伊勢)から米を緊急に買い付けたりしています。上杉謙信が小田原城を攻撃した時で、兵に配る兵糧用でした。


■大名の収入
年貢、公事(朝廷の行事に必要な物資や労働への課税)、段銭(遷宮などの国家的事業で徴収する臨時税)、関銭


■信長
小牧城に移った時に国中闕所を命じました。荘園などの様々な利権をすべて白紙にする政策です。また西岡地区の一識を細川藤孝に命じていますが、地域一帯の統治一切をゆだねることで領内の闕所地(敵対勢力の旧所領など)を摂取し、自らの家臣に配分できました。


■倭寇
日本人だけでなく明も中心になっていました。王直は五島や平戸にも拠点をおいて密貿易をしていました。種子島に鉄砲をもたらせたポルトガル人が乗っていたのが、この王直の船でした。またポルトガル人もからんでいました。彼らはフランキと呼ばれ、フランク族が語源で大砲もフランキ砲と呼んでいました。


天文13年(1544)には大隅半島で中国人商人とポルトガル人との紛争が発生。領主が巻き添えで亡くなり、大砲や鉄砲でジャンク船を破壊して大勢が死んだようです。


加藤清正が朝鮮侵攻と同時にマニラとの交易をすすめていました。銀や小麦粉を輸出し、絹製品や鉛を輸入していました。鉛は鉄砲に弾になります。


■信長の撰銭令
中国では朝貢貿易から貿易禁止などで密貿易が中心になりますが、銭の供給が絶たれることになります。悪銭が流通しますが、当時の朝廷はそんなことは気にしてなかったようで上洛した信長の献金に悪銭が混じっていると非難されます。撰銭令を出す背景には、こんな一件があったのですね。またこの当時、ビタ一文のビタという言葉が使われるようになります。銭が足りないことから西日本では銀がやがて使われるようになります。徳川政権で金、銀、銭の3つが複雑に使われる背景となります。


■木村次郎座衛門尉
安土の行政担当になった人物で信長が進出する前かた常楽寺港を支配する地元の領主でした。琵琶湖水運を支える湊なので信長は味方に引き入れます。安土城の普請や城下町の監督も務めました。本能寺の変の後、蒲生賢秀が信長の家族を連れて退去すると安土城を守ります。明智光秀の攻撃をうけ百々橋で戦死しました。

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2020/07/11

関ケ原大乱、本当の勝者

 【書 名】関ケ原大乱、本当の勝者
 【著 者】日本史史料研究会
 【発行所】朝日新書
 【発行日】2020/06/30
 【ISBN 】978-4-02-295080-2
 【価 格】910円


関ケ原合戦、本当はどうだったのかに焦点をあてた一冊です。


■家康の天下取り
秀吉が死んでわずか3ケ月後に伊勢に潜伏していた宣教師が捕らえられ伏見で家康が面会しています。宣教師は家康を新しい国王と書いており当時はそんな認識だったようです。家康はスペインとの貿易を考えてもおり秀吉が存命中から、いろいろと構想していたようです。


■家康の前田利長攻め
前田利長が大坂から北陸へ戻った時に政変が起きます。家康が伏見から大坂へ移動し、徳川秀忠正室(三姉妹)の江戸下向、譲位して後水尾天皇の誕生、宇喜多秀家の大坂から伏見への移動の3つが要求されました。この時に排除されたのが宇喜多秀家だけではなく前田利長と加藤清正に対して上洛無用としました。家康が行ったのは上洛の制止で加賀征伐というようなものではありませんでした。


母親である「まつ」が江戸へ行くことで講和しますが、代わりに大坂で人質だった前田利長正室と弟の利政が北陸へ戻りました。前田利長にとっては豊臣政権で人質として二人を送っているうちに一人が国許に帰り、一人が江戸に移っただけで利がある講和でもありました。


■山中
実際の合戦は山中と関ケ原で行われたようで宇喜多秀家、島津義弘、小西行長、石田三成と戦ったのは山中のようです。こっちが西軍の主力でした。また大垣城から出て「山にあがった」という表現があるので平地の関ケ原ではありませんでした。小早川秀秋は関ケ原で戦っており開戦時には松尾山にいなかったようです。関ケ原での戦いが先に始まったので関ケ原合戦という名称になったようです。


吉川広家には毛利の全てを譲るという約束でしたが、それはあんまりなので半分で手を打ったという話が伝わっています。

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2020/07/05

永青文庫の古文書

 【書 名】永青文庫の古文書
 【著 者】熊本大学永青文庫研究センター
 【発行所】吉川弘文館
 【発行日】2020/05/10
 【ISBN 】978-4-642-08386-7
 【価 格】1,800円


熊本藩細川家に伝わる古文書です。


■明智光秀
高嶋田中城で籠城していたことが分かっており、足利将軍家の足軽衆でした。細川藤孝の中間だったという記録もあり、光秀が田中城で薬の調合法を伝えた沼田勘解由左衛門尉の妹は細川藤孝の妻という関係でした。


■足利義昭追放
天正元年(1573)に決裂しますが、細川藤孝が間に入って和睦の交渉をしていました。ギリギリまで交渉していましたが最後は義昭側から断交したようです。


■戦の動員
支配地から動員するには石高制で実施し、明智光秀などの領国支配によって形成されていきますが、信長の動員は旧態依然としたままで知行高で動員するのではなく光秀にみあった軍功を暗黙に要求して成果を評価していました。これは直臣大名を動員する信長の権力と、知行地から動員する直臣大名の権力にずれがあり矛盾が拡大していくことになります。


■細川藤孝
元亀二年(1571)、信長は勝竜寺要害の普請に動員する権利を与えており、この頃には主従関係ができていたようです。


■葡萄酒
山ぶどうの一種「がらみ」を原料にして黒大豆を発酵させた葡萄酒を寛永4~7年に作っていましたが、目的は薬として効用です。ただキリシタン禁止がすすむとキリシタンとのイメージが強いため製造をやめました。他にもアヘンを作っていたようです。中津の下村己安(いあん)という医者が病気になった時に医師を派遣して服用したようですが、この下村という医者は山本勘助の孫にあたるそうです。

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2020/07/01

梅棹忠夫の「日本人の宗教」

 【書 名】梅棹忠夫の「日本人の宗教」
 【著 者】梅棹忠夫
 【発行所】淡交社
 【発行日】2020/05/06
 【ISBN 】978-4-473-04398-6
 【価 格】2,200円


梅棹忠夫生誕100周年記念ということで幻で終わった構想ををよみがえらせた本です。


■日本人の宗教観
各宗派が報告する信者数を足すと人口の2倍ほどになります。クリスマスパーティをして除夜の鐘を聞いて初詣に行く不思議な民族です。宗教とは教義があり経典があり儀礼があり施設があります。ただ信心している人に聞いてもいったい何を信心しているのか分かっていません。


■宿曜教(すくようきょう)
インドの占星術を取り込んだ中国の仏典で空海が持ちこんだと言われています。日曜日は密日でした。道教は部品で仏教というブランドで日本に輸入された時に中身のかなりの部分が道教になっていました。他に儒教もまぎれこんでおり、これが仏教と理解しているものです。


■神前結婚式
神は人事には介入しないので人前結婚が中心でしたが明治20年代に千家尊福(出雲大社)がキリスト教の影響を受けて始めたのが最初のようです。


■仏教の誕生
教義のあらそいで上座部仏教と大衆部仏教に分離します。大衆部仏教はインド北部から西域、中国へと伝播。上座部仏教はセイロンから東アジアへ伝播します。また上座部仏教では檀家制度はなく自分の気に入った寺で修行し、寺側もお布施を誰からもらってもかまいません。


キリストはアラム語(ヘブライ語にちかい)で説教していましたが、新約聖書はコイネー・ギリシャ語で書かれています。

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