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2020/05/05

埋もれた都の防災学

 【書 名】埋もれた都の防災学 都市と地盤災害の2000年
 【著 者】釜井俊孝
 【発行所】京都大学学術出版会
 【発行日】2016/09/10
 【ISBN 】978-4-8140-0042-5
 【価 格】1,800円

■宗教改革のきっかけ
バチカン市国のサンピエトロ寺院はティベレ川の泥岩と川が運んだ柔らかい堆積物(沖積層)の境目に位置しているため今でも地盤沈下が発生しています。聖ペテロの墓の上に建てられています。1349年の地震では深刻な影響を与えました。再建する資金を稼ぐためにレオ10世がはじめたのが免罪符の販売。これにかみついたのがマルティン・ルターです。

■近畿
継体天皇のお墓と言われている今城塚古墳と神戸にある西求女塚古墳は慶長伏見地震で地滑りが起きたようです。また西求女塚古墳はもともとは前方後方墳で、近代の修復で前方後円墳にされてしまったことも判明しました。

近畿トライアングル 中央構造線-敦賀湾・伊勢湾構造線ー花折断層-有馬・高槻構造線-六甲淡路活断層

■天井川
堤防で河道を固定すると川で運ばれた砂が堆積します。堤防をかさ上げすることを繰り返すと天井川になります。全国に217本ありますが、半分は京都と滋賀に集中しています。1600年頃は約1,200万人だった人口が1721年には約3,120万人となり食料が必要となり耕作地を増やすために河道を固定することになります。

■寛永通宝
足尾銅山の銅を原料としており寛永通宝の裏側に「足」と書かれているものがありマニアの間では足字銭と呼ばれています。

■上町大地
土台は大阪層群で表面の数メートルは上町層という地層になっている。上町層は大阪平野が海だった時に堆積した地層で平坦になっているのは海底が平坦だった模様。上町台地の西側は崖で波で浸蝕された海食崖になっていて本町通と松屋町筋の交差点付近から東北東に幅15mの谷が延びていました。埋もれており今の地表面からの深さは10mほどあります。

■昔は斜面下に家は建てなかった
都市部では沽券という土地譲渡契約書があり土地の売買ができましたが、斜面の住宅で災害が起きれば責任が問われるため基本的に建てませんでした。ところが1873年(明治6年)に地租改正法の制定があり、土地の使用権ではなく所有できるものとなり都市化現象で地滑りの起きるところなどに家を建てるようになりました。

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