関ケ原の決算書
【書 名】関ケ原の決算書
【著 者】山本博文
【発行所】新潮新書
【発行日】2020/04/20
【ISBN 】978-4-10-610859-4
【価 格】800円
■兵糧支給
戦争するには当たり前ですがお金がかかります。戦国時代は動員された武士が負担しましたが天下人となった豊臣秀吉の軍隊では支給式になっていました。小牧・長久手の戦いで尾張の楽田に出陣した者に10日分の兵糧を支給する古文書が残っています。最初の5日分は自弁で6日以降は支給でした。秀吉は兵糧の支給を重視しており賤ヶ岳の戦いで大垣から戻る時、村々に飛脚を送り「家一軒につき米一升を炊いて木之本へ持ってこい。恩賞は忘れずに渡す」と指示。兵糧米を運ぶ小荷駄隊では間に合わないので、こんな方法をとったんでしょう。秀吉は武将だけでなく陣夫にまで兵糧を支給していました。支給が前提となるので戦での動員数が正確になりました。
輸送費もかかります。長浜から関ケ原まで運んだ時は米の4.5%が輸送費でした。
小田原攻めでは50万石の兵糧米を確保しており、1年間は戦える体制をとりました。
■永楽通宝
天正13年(1585年) 銭1文 96円
天正18年(1590年) 銭1文 200円
信長が堺に要求した矢銭は2万貫なんで40億円ほどになります。
■関ケ原の戦い
会津攻めを中止して尾張へ向かいますが兵糧が問題となります。山内一豊が居城を提供すると言明したので城に備蓄していた兵糧を活用することができました。
兵糧は1人当たり1日5合が基本
米1石を8万円とすると5合は400円、1000人を1日動かすと40万円、10日で400万円
関ケ原の合戦のように10万人になると1日に4000万円かかります。
東軍 55,800人 関ケ原まで90日間 20億880万円
秀忠軍で9億8,800万円
西軍も同様で30億円ほどかかっていました。
家康は論功行賞で大名の支配地を動かすことで豊臣家がもっていた蔵入地(直轄地)を没収。また金銀銅山を奪ったことから経済基盤はボロボロになってしまいます。
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