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2020/05/30

京都まみれ

 【書 名】京都まみれ
 【著 者】井上章一
 【発行所】朝日新書
 【発行日】2020/4/30
 【ISBN 】978-4-02-295063-5
 【価 格】810円


■洛中
京都人は洛中というと二条通~五条通という狭い範囲で考えていますが、東京も同じで有楽町マリオンがオープンする時に銀座の名前をつけようとしましたが銀座の商店街が認めなかったようです。銀座は1丁目から8丁目まであり8丁目の隣に外堀がありました。今は埋められましたが銀座9丁目は非公式名称で銀座ナインが建っています。ただ銀座はもともと家康が京都の伏見に作り、次に駿府にも作って江戸の銀座は3番目でした。


室町幕府で地方から出てきた大名が駐屯したところが今の中京です。ところが大名が領国に戻ると間が空きます。上京と下京に分かれることになり下京が洛中の意識になります。


■西陣祭り
京都で”この間の戦争”というと応仁の乱の話が出てくると言われていますが、西陣などでは本当にそう思っているようです。応仁の乱が1477年11月11日に集結しましたが、この11月11日を記念して西陣祭りが行われています。また「応仁の乱」がベストセラーになりましたが、自分の先祖の話が出ていると京都の居酒屋で話題になったそうです。老舗を継がすために京大ではなく同志社に行かせる京都ならではの話ですね。


■西京
維新後に京都が西京と呼ばれた時代がありました。西京味噌などに名前が残っています。京都府立大学も発足当時は西京大学という名前でした。また東京と西京の間だったのが中京です。


■舞鶴
もともとは田辺でしたが維新後に地名を区別することになり紀州に田辺があるので舞鶴に改名されました。田辺城の通称が舞鶴城でした。

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ない仕事の作り方

 【書 名】ない仕事の作り方
 【著 者】みうらじゅん
 【発行所】文春文庫
 【発行日】2018/10/10
 【ISBN 】978-4-16-791166-9
 【価 格】660円

■ない仕事を作る
ドラッカーが”仕事を顧客の創造”と定義していますが実際にやっているのが、みうらじゅん氏です。自分で面白いものをコレクションしていますが、コレクションしたら書籍やイベントに昇華させて仕事にします。そこで編集者を接待することが重要です。一人電通として編集者として飲みに行き、相手が気持ちよい時に企画を売り込みます。また大学卒業後、知り合いになった雑誌の編集部によく出入りして、誰かの原稿が落ちた時のピンチヒッターになることもやっていました。

■ネーミング
ほとんど本数がないバス時刻表に「地獄表」というネーミングすると、そんな場所に行きたくなります。またインターネットに出てこない言葉を探します。例えば古い日本人形のコレクションをフィギュアと和風をあわせて「フィギュ和」という言葉を考え検索するとヒットしません。ないので新しいジャンルになり自分が一番詳しい状況になります。いろいろな情報発信を続けていくと、勝手に独自の意見を言い出す人が増えます。これがブームとなります。

■ぴあ現象
電子辞書が普及したことの弊害に「隣の文字を調べない」があります。インターネットがない時代にイベントを調べる時に便利なのが「ぴあ」でした。ある日、読んでいると「キムチ前田」という名前を見つけます。誰のイベントを調べたかは忘れますがキムチ前田の名前はずっと頭に残っています。本来の目的を調べている時に思わぬ何かが見つかるということがよくあり、これが重要です。

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敗者の日本史 消えた名家・名門の運命

 【書 名】敗者の日本史 消えた名家・名門の運命
 【著 者】敗者の歴史研究会
 【発行所】宝島社新書
 【発行日】2020/04/24
 【ISBN 】978-4-299-00459-8
 【価 格】1280円

■渋川天神社
渋川天神社はJR八尾駅近くにあり、もともとは渋川廃寺がありました。ここが物部守屋の本拠地があったところです。崇仏派の蘇我馬子と廃仏派の物部守屋との戦いと日本史で習いましたが実際は物部氏の勢力地には阿刀(あと)氏や鞍作氏など崇仏派もいて、しかも寺まで作っていたので本当のところは王位継承をめぐる争いだったようです。

■和珥氏
古代の名族ですが添上郡和珥から春日へ本拠地を移した時に春日氏に名前を変えたようです。同族には粟田氏、大宅氏、小野氏、柿本氏がいて小野妹子や柿本人麻呂などが排出されています。

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2020/05/16

時間はどこから来て、なぜ流れるのか?

 【書 名】時間はどこから来て、なぜ流れるのか?
 【著 者】吉田信夫
 【発行所】講談社ブルーバックス
 【発行日】2020/01/20
 【ISBN 】978-4-06-518463-9
 【価 格】1000円

時間はどこにあるのか? 答えは、その場所にあるがテーマの本です。

■等価原理
箱の中に人がいて周りが見えない場合、下に押し付ける作用が重力によるものか加速度運動によるものか区別できません。物理的に等価なので等価原理といいます。

■ニュートリノの速度
16年前に大マゼラン雲内の超新星が爆発し、光が1987年2月23日に地球へ到達したがニュートリノが観測された時間は3時間でニュートリノは光とほぼ同じ速度になることが判明します。

■ビッグバンは整然とした状態からスタート
138億年たった今なお天から降り注ぐのが宇宙背景放射で、どの方向に向けても同じような背景放射が観測されることからビッグバンは整然とした状態から始まったことが分かりました。整然とした状態が崩れていくと形で時間の方向性が生まれます。

■捏造
「真ん中高めのストレートがきたので思いっきり打ち返しました。」というバッターのインタビューがありますが、これは勘違いだそうです。見てからバットを振っていたら間に合わないし、実は投手の行動をみて予測制御の限りを尽くしているからです。脳は数ミリ秒以下の間隔で起きる出来事を順序通りに正しく並べられない。そこで時間の入れ替えや因果関係の捏造(バッターの言葉)が行われます。熱いものに触って手をひっこめた時、手をひっこめるのは脊髄反射で、そのあとに熱さの情報が伝わって関係がないのに熱いので手をひっこめたになります。

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2020/05/11

関ケ原の決算書

 【書 名】関ケ原の決算書
 【著 者】山本博文
 【発行所】新潮新書
 【発行日】2020/04/20
 【ISBN 】978-4-10-610859-4
 【価 格】800円

■兵糧支給
戦争するには当たり前ですがお金がかかります。戦国時代は動員された武士が負担しましたが天下人となった豊臣秀吉の軍隊では支給式になっていました。小牧・長久手の戦いで尾張の楽田に出陣した者に10日分の兵糧を支給する古文書が残っています。最初の5日分は自弁で6日以降は支給でした。秀吉は兵糧の支給を重視しており賤ヶ岳の戦いで大垣から戻る時、村々に飛脚を送り「家一軒につき米一升を炊いて木之本へ持ってこい。恩賞は忘れずに渡す」と指示。兵糧米を運ぶ小荷駄隊では間に合わないので、こんな方法をとったんでしょう。秀吉は武将だけでなく陣夫にまで兵糧を支給していました。支給が前提となるので戦での動員数が正確になりました。

輸送費もかかります。長浜から関ケ原まで運んだ時は米の4.5%が輸送費でした。

小田原攻めでは50万石の兵糧米を確保しており、1年間は戦える体制をとりました。

■永楽通宝
天正13年(1585年) 銭1文 96円
天正18年(1590年) 銭1文 200円

信長が堺に要求した矢銭は2万貫なんで40億円ほどになります。

■関ケ原の戦い
会津攻めを中止して尾張へ向かいますが兵糧が問題となります。山内一豊が居城を提供すると言明したので城に備蓄していた兵糧を活用することができました。

兵糧は1人当たり1日5合が基本
米1石を8万円とすると5合は400円、1000人を1日動かすと40万円、10日で400万円
関ケ原の合戦のように10万人になると1日に4000万円かかります。

東軍 55,800人 関ケ原まで90日間 20億880万円
   秀忠軍で9億8,800万円
西軍も同様で30億円ほどかかっていました。

家康は論功行賞で大名の支配地を動かすことで豊臣家がもっていた蔵入地(直轄地)を没収。また金銀銅山を奪ったことから経済基盤はボロボロになってしまいます。

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2020/05/05

埋もれた都の防災学

 【書 名】埋もれた都の防災学 都市と地盤災害の2000年
 【著 者】釜井俊孝
 【発行所】京都大学学術出版会
 【発行日】2016/09/10
 【ISBN 】978-4-8140-0042-5
 【価 格】1,800円


■宗教改革のきっかけ
バチカン市国のサンピエトロ寺院はティベレ川の泥岩と川が運んだ柔らかい堆積物(沖積層)の境目に位置しているため今でも地盤沈下が発生しています。聖ペテロの墓の上に建てられています。1349年の地震では深刻な影響を与えました。再建する資金を稼ぐためにレオ10世がはじめたのが免罪符の販売。これにかみついたのがマルティン・ルターです。


■近畿
継体天皇のお墓と言われている今城塚古墳と神戸にある西求女塚古墳は慶長伏見地震で地滑りが起きたようです。また西求女塚古墳はもともとは前方後方墳で、近代の修復で前方後円墳にされてしまったことも判明しました。


近畿トライアングル 中央構造線-敦賀湾・伊勢湾構造線ー花折断層-有馬・高槻構造線-六甲淡路活断層


■天井川
堤防で河道を固定すると川で運ばれた砂が堆積します。堤防をかさ上げすることを繰り返すと天井川になります。全国に217本ありますが、半分は京都と滋賀に集中しています。1600年頃は約1,200万人だった人口が1721年には約3,120万人となり食料が必要となり耕作地を増やすために河道を固定することになります。


■寛永通宝
足尾銅山の銅を原料としており寛永通宝の裏側に「足」と書かれているものがありマニアの間では足字銭と呼ばれています。


■上町大地
土台は大阪層群で表面の数メートルは上町層という地層になっている。上町層は大阪平野が海だった時に堆積した地層で平坦になっているのは海底が平坦だった模様。上町台地の西側は崖で波で浸蝕された海食崖になっていて本町通と松屋町筋の交差点付近から東北東に幅15mの谷が延びていました。埋もれており今の地表面からの深さは10mほどあります。


■昔は斜面下に家は建てなかった
都市部では沽券という土地譲渡契約書があり土地の売買ができましたが、斜面の住宅で災害が起きれば責任が問われるため基本的に建てませんでした。ところが1873年(明治6年)に地租改正法の制定があり、土地の使用権ではなく所有できるものとなり都市化現象で地滑りの起きるところなどに家を建てるようになりました。

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2020/05/03

神楽坂ホン書き旅館

 【書 名】神楽坂ホン書き旅館
 【著 者】黒川鍾信
 【発行所】NHK出版
 【発行日】2002/05/25
 【ISBN 】978-4-14-080694-X
 【価 格】1700円

神楽坂にある旅館「和可菜」。日本を代表する文豪達が愛した老舗旅館として現在はインバウンドでも有名な旅館になっています。ホン書きは昼間に寝て、夜中に仕事をする。社会性がない人が多く、こういったホン書き専門の旅館でした。この旅館からヒット作がたくさん生まれたため「出世旅館」とも呼ばれています。

昭和28年に女優だった小暮実千代(つま)に旅館を買わないかという話があり、女将は付き人をしていた妹の敏子がすることになりました。最初は苦労しましたが、やがてホン書きが籠る旅館となっていきます。数多くのホン書きがいましたが、その一人が円谷プロの金城哲夫。ウルトラマンを執筆していたあの金城です。

■野坂昭如
『エロ事師たち』などで有名な野坂昭如もよく籠っていて、繰り広げられるのが原稿を待つ編集者との格闘。近くに田原屋という夏目漱石、松本清張などが愛した洋食屋があり、野坂が編集者に田原屋で待てと言う時ははなから原稿を渡す気がないか、遁走を考えている時でした。

野坂は和可菜と平河町にあった都市センターホテルもよく使っていました。都市センターホテルは梶山季之もよく使っていたようで、その時にフロントにいたのが森村誠一で原稿を預かって編集者に渡したりしていたそうです。

■山田洋次
「男はつらいよ」のいくつかの作品も和可菜で書かれました。マドンナの名前が「若菜」の時もあり、この時のマドンナは樋口可南子でした。

■竹山洋
NHK朝の連続テレビ小説「京、ふたり」を書いた後に大河ドラマ「秀吉」を執筆します。また「利家とまつ」の執筆も行いました。

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