禁断の江戸史 教科書に載らない江戸の事件簿
【書 名】禁断の江戸史 教科書に載らない江戸の事件簿
【著 者】河合 敦
【発行所】扶桑社新書
【発行日】2020/03/01
【ISBN 】978-4-594-08419-6
【価 格】840円
■先用後利
富山の薬売りというとサブスクモデルのはしりですが、それ以前から同じビジネスモデルがあったようです。立山連峰には御師がいて、各地に出向き立山曼荼羅を見せて立山への参詣を誘致していました。あらかじめ旅籠や豪農になどに祈祷札や教衣を預け、売れた分を翌年に補充しました。これが富山の薬売りにも導入されますが、薬は万一の必需品なので一度、顧客となると長い付き合いになり年に2回は顔をあわせ、客からは手紙をことづかったり、縁談を頼まりしてロイヤルカスタマーへとなっていきます。
■遠山の金さん
天保の改革の時、遠山金四郎は庶民には同情的で水野忠邦が寄席を全部閉めると言い出すと、一部は残るように計らいました。やがて店舗の改革が失敗すると恩に感じていた芝居関係者が遠山金四郎を名奉行に仕立て上げた題目を上演することで、現在のイメージになったようです。桜ではないですが彫り物は確かにしていたようです。
■参勤交代
江戸と国を1年交代でというイメージですが、いろいろで松前(蝦夷)は5年に1回、対馬は3年に1回でした。反対に関東近郊は半年に1回で、また旗本でも参勤交代を命じられていたものもいました。
■鳥見の仕事
鷹狩りで鳥を見張る仕事がありました。鷹の餌用にトリモチで毎日十羽の雀を捕まえるのも仕事でした。大名屋敷の敷地まで雀を追っかけて入ることもあり、公務なので反対はできません。現在でいう監査役や保健所職員のようなことをやっていました。
■そば屋の庵
~庵とつくのは江戸浅草の道光庵という寺院が参詣者にそばを振舞って評判になったことから庵とつけるようになったという説があるそうです。
■ミイラ
江戸時代、ミイラが輸入され薬をして使われていました。エジプトのミイラの防腐剤にはプロポリス(ミツバチの巣から少しだけとれる健康食品で有名)が使われ、抗菌作用、滋養強壮にきくので効能は確かだったようです。
■インフルエンザ
江戸時代も稲葉風、お駒風、谷風、お七風、ネンコロ風などのインフルエンザが流行しました。お七風は歌舞伎で八百屋お七が流行った時に命名されました。この時、幕府から給付金が出ました。棒手振(天秤棒で商売する零細商人)、日雇稼業、職人など独身者は一人銭300文、二人暮らし以上は一人250文ずつの支給で300文は3~5千円ぐらいです。
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