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2020/04/27

回想の織田信長 フロイス「日本史」より

 【書 名】回想の織田信長 フロイス「日本史」より
 【著 者】ルイス・フロイス
 【発行所】中央公論新社
 【発行日】2020/03/25
 【ISBN 】978-4-12-206865-0
 【価 格】1,000円

美濃の岐阜城ではロレンソ修道士やフロイスに対して信長自ら晩餐の食膳を持ってくるシーンなど、有名な話が出てきます。織田信長や他の武将に対して忖度する必要がないので実際にどんな性格だったのかなども、よく描かれています。

■京都のキリシタン居住地
高辻通りと松原通りの間の若宮通り菊屋町だったようで、江戸時代初めにはダイウス町(デウス)と呼ばれた3つのうちの1つでした。協会は蛸薬師通り、室町と新町の間の北側姥柳町にありました。

■セミナリオ(安土)
1階-茶の湯、座敷(宿泊) 2階ー寝室 3階ーセミナリオ

■荒木村重と高山右近
荒木村重を説得するために高山右近は子供や妹を人質に差し出して話をして荒木村重は納得。荒木村重が安土に行こうと茨木まですすむと重臣たちから反対の通知が届き、この上は摂津の領主は別にするとまで言われ荒木村重は有岡城へ戻ります。高山右近は人質が握られているので動けません。そこで信長は宣教師をおどして説得に向かわせますが、その話などが詳しく記載されています。

■本能寺の変
1582年3月8日の夜10時、東から空が明るくなり安土城の上で赤く染まり、明け方まで続きました。5月14日、月曜日の夜9時に彗星があらわれて数日にわたって長い尾が見える。数日後の正午、、修道院の7、8名が彗星か花火ような物体が安土城に落ちていくのを見ています。いろいろと怪奇なことがあったようです。

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