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2020/04/18

危ない日本史

 【書 名】危ない日本史
 【著 者】本郷和人 NHK偉人たちの健康診断取材班
 【発行所】講談社アルファ新書
 【発行日】2020/03/19
 【ISBN 】978-4-06-519443-0
 【価 格】860円

戦国武将の死因について推論していますが武田信玄は胃癌、上杉謙信は糖尿病(大酒飲み)だったようです。小早川秀秋は子供の時から飲んでいてアルコール性肝硬変だったようです。ただし慶長の役の後、秀吉から秀秋は筑前35万石から越前12万石に国替えされます。秀吉が亡くなってから筑前に戻してくれたのが徳川家康でした。秀秋にとって家康は恩人で東軍につくのは自明で裏切りと言う話ではなかったようです。

■石田三成
淀川が氾濫した時、土嚢が足りないなか石田三成は米蔵から米俵を出して洪水を防ぎました。数千俵の米よりも城と町の損害を瞬く間に計算する機転がありました。賤ヶ岳の戦いでは、兵に武具をつけさせず身軽にして移動させます。具足は長浜城から戦場まで運びます。また沿道には松明をたかせ道を照らしました。

■脇坂安治
七本槍の活躍で山城国に3000石をもらいます。伊賀国の代官の仕事をしていた時、秀吉から木材を伐採して早く送れと書状が届きます。脇坂は戦で働きたいと願いますが、お前に期待しているのは木材を送ることだという返事。脇坂安治は最終的に3万石まで出世しますが、実務能力をここまでしか評価していませんでした。

加藤清正や福島正則は20万石でしたので戦いよりも国を統治する実務能力が高く、関ケ原の合戦というと文治派の石田三成と武断派の加藤清正らの戦いと言われますが、そんな単純なものではなく大名通しの熾烈な権力争いです。原因は無謀だった朝鮮出兵の失敗でした。

■桜田門外の変
牛肉の恨み説というのがあります。水戸の斉昭は牛肉好きで毎年、彦根藩主から近江牛を送ってもらっていました。井伊直弼が仏教徒になってから送ってもらえなくなり、これが桜門外の変につながったそうです。

■日本の人口
600年-600万人 第一回遣隋使が派遣され、聖徳太子が活躍していた頃
1600年(関ケ原)-1200万人(平和になる)
1700年-2500万人

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