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2020/03/07

戦国名将の本質

 【書 名】戦国名将の本質
 【著 者】小和田哲男
 【発行所】朝日新聞出版
 【発行日】2019/11/15
 【ISBN 】978-4-620-32610-8
 【価 格】1500円


■明智秀満、蒲生賢秀
本能寺の変のあと、安土城にいた蒲生賢秀は明智軍を攻めてくると考えて信長の妻子を避難させますが城中の金銀財宝はそのままにして称賛されます。また安土城の守りについていた明智秀満は山崎の合戦による敗北を聞き、有名な湖水渡りで坂本城に入ります自刃しますが、その前に敵方の堀秀政に坂本城に会った重宝を渡しています。


■長篠の戦
設楽原古戦場で見つかった鉛玉には中国やタイの鉛が使われていました。信長は堺で硝石をおさえていましたが鉛もおさえ武田方の鉄砲の威力を抑え込んでいたようです。


■筑前守(秀吉)
天正3(1575)年に光秀が日向守、秀吉は筑前守の任官されます。天正6(1578)年に筑前守を返上して藤吉郎に戻しています。信長を裏切った荒木村重を説得にいった黒田官兵衛が捕らえられた時期で、信長は黒田官兵衛も裏切ったと考えていたので、秀吉は自ら降格を申し出て怒りを鎮めようとしたようです。ほとぼりがさめた頃に筑前守に戻しています。


■中国大返し
黒田官兵衛が小早川隆景から毛利の旗を20本借りています。尼崎まで戻った時に秀吉軍の先頭に旗をたてることで、毛利も秀吉に味方したと思わせ、池田恒興や高山右近らが秀吉陣営に加わります。


■武田信玄の水軍
海がなかった甲斐から駿河を手に入れたことで海に出ることができます。そこで水軍を整備しますが今川の旧臣である岡部忠兵衛を中心に武田水軍を整備し、志摩国小浜を拠点とし北畠の水軍だった志摩水軍の小浜景隆も取り込んで水軍大将にします。武田勝頼の時、駿河湾海戦で北条水軍と互角の戦いをします。


■北条早雲の出自
伊勢の素浪人説はすっかりなくなり備中国荏原荘(井原市)の高越山城主の子として生まれ、名門伊勢氏の一族です。

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