なぜ武士は生まれたのか
【書 名】なぜ武士は生まれたのか
【著 者】本郷和人
【発行所】文春文庫
【発行日】2019/12/10
【ISBN 】978-4-16-791413-4
【価 格】610円
「NHKさかのぼり日本史 武士に世のの幕開け」を文庫化したものです。
■武士は乱暴で残虐な存在だった
百姓が寝静まった時に倉や倉庫に乱入して略奪し、村人が駆け付けると一斉に退散したと、まさに強盗ですが、やっていたのは鎌倉幕府成立を助けた頼朝二十五功臣の一人である宇佐美祐茂という武士です。そんな武士が撫民ということを考えるようになります。北条時頼が建長寺という禅寺を作り、武士を自己規制させるように教育します。神仏を信じていたので、これは効果的だったようです。これは貴族にはない発想でした。
■移しの儀
常陸の佐竹氏を攻めて所領を没収した源頼朝は鎌倉に戻り、新たに造営した屋敷に引っ越します。このセレモニーに311人の御家人が参加しましたが東国御家人の大半でした。新邸の侍所で2列に並んで対座して頼朝を迎えます。征夷大将軍に任ぜられる12年前ですが鎌倉幕府の主従関係はこの時に決まりました。
■兼参(けんざん)
副業などが盛んになっていますが、複数の主人をもつことが当たり前でした。伊勢の加藤光員は頼朝以外に後鳥羽上皇の「西面の武士」であり検非違使でもありました。また伊勢神宮トップの大中臣氏の家司でもありました。頼朝は朝廷から官職をもらうことを禁じ、領地も幕府が保護することで1ボス制へと切り替えていきます。
頼朝は後白河法皇から「衛府の太刀」を授かりましたが鶴岡八幡宮に奉納してしまいました。朝廷を守る太刀ということで授けられましたが、その気はないということを示しています。
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