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2020/02/29

戦況図解 古代争乱

 【書 名】戦況図解 古代争乱
 【著 者】山岸良二
 【発行所】サンエイ新書
 【発行日】2020/02/11
 【ISBN 】978-4-7796-4135-0
 【価 格】900円

環濠集落での争いから後三年の役で源義家が台頭するまでについて記載されています。

■672年 壬申の乱
琵琶湖の東岸と西岸でも戦いが行われます。7月22日に羽田矢国が三尾城を攻略しますが、この三尾城の場所は分かっていません。


■807年 伊予親王謀反事件
桓武天皇と藤原吉子(藤原南家)との間に生まれたのが伊予親王で桓武天皇が没したあと、藤原氏の政争に巻き込まれます。807年、母親とともに謀反の罪で捕らえられて長岡京の川原寺に幽閉され、無実を訴えて毒を飲んで自殺します。他の南家勢力も排除し藤原北家が台頭することになります。

■810年 平城太上天皇の変
昔、日本史の教科書では「薬子の乱」と習いましたが、今は「平城太上天皇の変」というそうです。嵯峨天皇が平安京にいる時に位を譲った平成天皇は平城京を改修し遷都を命じます。これで嵯峨天皇と対立することになり結局は平定されてしまいます。

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2020/02/25

戦国、まずい飯!

 【書 名】戦国、まずい飯!
 【著 者】黒澤はゆま
 【発行所】インターナショナル新書
 【発行日】2020/02/12
 【ISBN 】978-4-7976-8048-5
 【価 格】840円


戦国時代の足軽たちが実際に何を食べていたのか再現する一冊です。赤米、芋がら縄、干し飯などが紹介されています。


■片荒らし
水田がずっと続いている風景というのは最近の話で、古代は焼き畑を伴った陸田や水田が混在していました。これを片荒らしというそうで、施肥と治水の問題からでした。太閤検地の頃まで続いていたようです。


■井伊家
保元物語では源義朝に従う8人の兵が記載されています。その一人が「井の八郎」で鎌倉時代には遠江介に任官され井伊介と自称していました。出羽の秋田城介、相模の三浦介、下総の千葉介、上総の上総介、伊豆の狩野介、加賀の富樫介、周防の大内介と並んで八介と総称されていました。かなり格式が高い家だったようです。


■式年遷宮
大宝令時代からあった倉庫令に干し飯を20年、倉に貯蔵しろという記載があります。伊勢神宮の式年遷宮の20年はここからきているという説があります。米の命が続く限界を国の命の限界とみなし、死と再生の祭りを行うことになり式年遷宮となったという説です。


■焼酎
蒸留酒がインドネシアから琉球に伝わり泡盛になります。これが日本に伝わり焼酎となります。永禄2(1559)年に鹿児島県伊佐市の郡山八幡神社で大工が本殿の柱に「神社の座主がケチで焼酎をふるまってくれない」と愚痴が書いてあります。これが焼酎という言葉の初出ですが、庶民にまで広まっていました。


真田信繁が九度山から左京に焼酎を送ってくれという手紙が残っていますが、この左京という人物は西山左京至之で足利義輝の孫でした。足利義輝が殺された時に側室が命からがれ逃げて生んだ子供の子供で、左京は細川氏に仕えていましたが生まれが生まれですので客将のような立場でした。この左京と真田家は家族ぐるみの付き合いだったようです。

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2020/02/22

日本中世への招待

 【書 名】日本中世への招待
 【著 者】呉座勇一
 【発行所】朝日新書
 【発行日】2020/02/28
 【ISBN 】978-4-02-295057-4
 【価 格】850円

■義経の結婚
義経が後白河法皇から勝手に検非違使の任官を受けたため頼朝と反目したと思っていましたが、だが任官の1ケ月後に義経は河越重頼の娘と結婚して鎌倉から京都へ向かっており結婚の世話をしたのが頼朝でした。新婦の母方の祖母は比企尼で頼朝の乳母でした。この頃はなんとか義経を取り込もうと考えていたようです。

■譲状
財産相続で争わないように書かれるのが譲状で、これを見るとほとんど平仮名です。自筆なのは偽造防止のためで鎌倉幕府の法廷では筆跡鑑定もやっていました。

■興禅の方便
中国に留学した禅僧が最新の宋学を持ち込んだため禅僧に学ぶしかありません。禅宗では宋学を足掛かりに禅宗を広めようと考えました。これが興禅の方便です。禅宗は生活のすべてが禅の修行という考えがあり学問担当の西班衆(せいばんしゅう)と実務担当の東班衆(とうばんしゅう)には基本的に差はありませんでした。東班衆も講義に出ていたため禅宗では実学を教えることになります。

■老人は60歳から
大宝令 3歳以下-黄、4~16歳-小、17~20歳-中、21~60歳-丁、61~65歳-老、66歳以上-耆(き)

■外科
中世、内科医のことを本道医と呼んでいました。外科はできることが限られていたため本道ではない意味で外科と言われました。

■アルコールハラスメントは中世から
フロイスが日本人は酒を非常にしつこくすすめ合い、酔っぱらうことが恥辱ではないと書いており、当時からアルハラがありました。

■伊勢の御師
御師と檀家との師檀関係は代々続き、檀家から御師を変更できませんでした。檀家の権利を他の御師に得ることができ、これが檀那売券(伊勢御師の場合は道者売券)

■島津家久の旅行
島津氏が薩摩、大隅、日向を統一できた御礼に伊勢神宮や愛宕山へお礼に向かいます。船の中では乗り合わせた庶民と酒を飲んだりするフランクな旅行でした。京都では石山本願寺からの戦いから帰ってきた織田信長の行列を見学しています。永楽通宝の旗印の中、信長自身は馬の上で寝ていたようです。明智光秀に招かれ坂本城も見学しています。

■高師直
バサラ武将のイメージがありますが、建武の新政では雑訴決断所の職員をしており、尊氏の時代になっても、この時の経験をいかして模倣していました。高一族は基本的に行政官僚で武人の方が珍しく、一説では楠木正成に兵法を学んだという説もあります。

■明智光秀の地位
連署状には丹羽長秀、木下秀吉、中川重政、明智光秀の順に記載され、織田政権に入った当時は地位はそれほどでもなかったようです。

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2020/02/20

日本史でたどるニッポン

 【書 名】日本史でたどるニッポン
 【著 者】本郷和人
 【発行所】ちくまプリマ―新書
 【発行日】2020/02/10
 【ISBN 】978-4-480-8371-7
 【価 格】840円


■源頼朝の弟
頼朝の弟である希義(まれよし)は土佐に流されており、西国は平氏がおさえていたため、頼朝の挙兵に伴って捕えられて殺されてしまいます。


■毛越寺(平泉)
五味文彦氏の仮説では毛は毛野国(上野と下野をあわせた地名)で越は越国(越前、越中、越後)を表し、ここらへんで一番の寺という意味。大和朝廷が支配していなかったのが毛野国と越国となります。


■室町幕府の意識と戦国大名
遠隔地については将軍の意のままにならなくても構わないという考え方でした。中部地方ぐらいまでが範疇で関東や東北は鄙の地でした。応仁の乱で戦ったのも室町幕府の範疇にあった大名たちで、しかも京都暮らしでした。京都が荒廃したため地元に戻ってもほったらしにしていたので縁が切れており戦国大名になれませんでした。駿河の今川は関東などを監視しろと言われ京都に来なくてよかったので戦国大名に、九州は博多以外は鄙でしたので大友や島津が戦国大名になります。


■大三元
科挙が語源で、試験は3年に1回。郷試-県大会みたいなもの、会試-地方大会、殿試-全国規模の3段階で合否ではなく順番を決めるもの
トップで合格した人を郷試では解元、会試では会元、殿試では状元といってトップ合格すると大三元と称されます。


■十方住持制(禅宗)
十方ーあらゆる方面、住持-住職 住職の転勤制度で実力主義で各寺をまわり出世していきます。才能による競争でしたが夢窓礎石の甥が度弟院(つちえん)制度をはじめ、塔頭は一門の弟子が代々住職を務める世襲制度に変えてしまいます。これが許せなかったのが一休宗純です。


■記録所
庶民のことを考えなかった朝廷ですが鎌倉時代中期ぐらいから変わり、記録所を復活させます。下級貴族から10人を選抜し、政治や裁判について審議に天皇の諮問に答えます。院生になると上皇に記録所の代わりに文殿(ふどの)が作られますが、伊勢神宮に関わることだけは記録所で審議されました。


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2020/02/15

座右の書「貞観政要」

 【書 名】座右の書「貞観政要」
 【著 者】出口治明
 【発行所】角川新書
 【発行日】2019/12/10
 【ISBN 】978-4-04-082351-5
 【価 格】860円


副題は中国古典に学ぶ世界最高のリーダー論。唐の基礎を作り上げたのが第二代皇帝、太宗・李世民です。貞観という稀にみる平和な時代に、臣下に権限を与え口出しをせず、臣下の諫言を歓迎しました。李世民は兄弟を殺し、父を幽閉して帝位につきましたが、これでは煬帝と同じです。そこで名誉挽回するために善政を敷くしかありません。これで実現したのが貞観の治です。


■易姓革命
徳を失った王朝が天から見放され王朝の姓がかわります。日本の天皇家に姓がないのは易姓革命論の影響かもしれません。


■上司も部下も組織を運営するための機能の一つ
上司は部下よりも人間として偉いわけではなく、チームで上司の機能を割り当てられているだけです。


■ロサダの法則
1回叱ったら3回以上ほめることが必要で、それ以上叱ってしまうと、人は自信を失ってしまいます。心理学者マーシャル・ロサダの研究成果です。


■書道
中国の冗談で地方視察に行く役人は書道の勉強をします。地方の役人から揮毫を求められ、書かれた文字を見て松竹梅で接待のランクを決めるからだそうです。


■遊牧民の十進法
1000人隊では100人隊長が10人いて、100人隊長の下には10人の10人隊長がいます。有能な隊長でも管理できるのは経験的に10人が限度と考えていました。


■人生意気に感ず
魏徴の言葉で、太宗を殺そうとしていた人物でした。「人生意気に感ず 功名誰かまた論ぜん」(人生は相手の心意気に感激して行動するもので、功績や名誉などは問題ではない)

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2020/02/12

日本史を変えた8人の将軍

 【書 名】日本史を変えた8人の将軍
 【著 者】本郷和人、門井慶喜
 【発行所】祥伝社新書
 【発行日】2020/02/10
 【ISBN 】978-4-396-11595-1
 【価 格】960円


■幕府
明治時代に学者が武士政権をどう呼ぼうかと考えた言葉で、江戸時代に幕閣に聞いたら「柳営(りゅうえい)」と答えるでしょう。


■室町幕府 奉行人と奉公衆
奉行人-政治や裁判を補佐した武士で世襲
奉行衆-直轄軍 足利義満の頃で3000人ほどで京都在住


■一職支配
土地からの上りはすべて自分にものとなり、太閤検地によって土地の重層的支配が廃されることで実現します

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2020/02/11

なぜ武士は生まれたのか

 【書 名】なぜ武士は生まれたのか
 【著 者】本郷和人
 【発行所】文春文庫
 【発行日】2019/12/10
 【ISBN 】978-4-16-791413-4
 【価 格】610円


「NHKさかのぼり日本史 武士に世のの幕開け」を文庫化したものです。


■武士は乱暴で残虐な存在だった
百姓が寝静まった時に倉や倉庫に乱入して略奪し、村人が駆け付けると一斉に退散したと、まさに強盗ですが、やっていたのは鎌倉幕府成立を助けた頼朝二十五功臣の一人である宇佐美祐茂という武士です。そんな武士が撫民ということを考えるようになります。北条時頼が建長寺という禅寺を作り、武士を自己規制させるように教育します。神仏を信じていたので、これは効果的だったようです。これは貴族にはない発想でした。


■移しの儀
常陸の佐竹氏を攻めて所領を没収した源頼朝は鎌倉に戻り、新たに造営した屋敷に引っ越します。このセレモニーに311人の御家人が参加しましたが東国御家人の大半でした。新邸の侍所で2列に並んで対座して頼朝を迎えます。征夷大将軍に任ぜられる12年前ですが鎌倉幕府の主従関係はこの時に決まりました。


■兼参(けんざん)
副業などが盛んになっていますが、複数の主人をもつことが当たり前でした。伊勢の加藤光員は頼朝以外に後鳥羽上皇の「西面の武士」であり検非違使でもありました。また伊勢神宮トップの大中臣氏の家司でもありました。頼朝は朝廷から官職をもらうことを禁じ、領地も幕府が保護することで1ボス制へと切り替えていきます。


頼朝は後白河法皇から「衛府の太刀」を授かりましたが鶴岡八幡宮に奉納してしまいました。朝廷を守る太刀ということで授けられましたが、その気はないということを示しています。

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馬が動かした日本史

 【書 名】馬が動かした日本史
 【著 者】蒲池明弘
 【発行所】文春新書
 【発行日】2020/01/20
 【ISBN 】978-4-16-661246-8
 【価 格】900円


■黒ボク土
日本の31%を占めているのが黒ボク土。1万年前の縄文時代からあり、日本列島は森林だけではなく草原地帯が拡がっていました。農地利用が難しく放牧地として活用されました。この黒ボク土の分布と武士が地盤としていた分布がよく似ています。


■河内の讃良(サララ)
現在の四条畷市、寝屋川、大東の一部でサララ、ササラと呼ばれる牧がありました。持統天皇の名前が?野讚良皇女なので、何か関係があったかもしれません。


■もっとも多くの前方後円墳が作られた県は?
答えは千葉県。奈良県の2.5倍、京都府の6倍もあります。江戸時代、千葉には幕府直営牧場(小金牧、佐倉牧、嶺岡牧)が造られ下総国の1/5を放牧地がしめていました。

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2020/02/07

古代史の謎解き紀行2 神々の故郷 出雲編

 【書 名】古代史の謎解き紀行2 神々の故郷 出雲編
 【著 者】新潮文庫
 【発行所】関裕二
 【発行日】2014/07/01
 【ISBN 】978-4-10-136477-3
 【価 格】550円


荒神谷遺跡や出雲大社の大きな柱など、驚くべき発見が続いている出雲です。荒神谷遺跡では大量の剣が発見されましたが、この銅剣の数が出雲国風土記に記載されている、この地域一帯の神社の数とほぼ重なるそうです。


春日大社の本殿入口の脇に三輪神社とあり少彦名命(すくなひこなのみこと)」が祭られています。スクナヒコは出雲建国に貢献した神様ですが無名にちかい扱いになっています。春日大社というと藤原氏ですが、もともとは柿本人麻呂と縁が深い和珥氏の所有でした。


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2020/02/05

歴史とは靴である

 【書 名】歴史とは靴である
 【著 者】磯田道史
 【発行所】講談社
 【発行日】2020/01/28
 【ISBN 】978-4-06-518189-8
 【価 格】1200円

「17歳の特別教室シリーズ」の一冊です。鎌倉女学院高校で行われた講義を本にしたもので、歴史についてどう学ぶかを分かりやすく講義しています。

■人間にしかない3K
カミ、クニ、カネの3Kで単なるシンボルですが人間は人殺しまでします。ただ月まで到達できたのは、カミ、クニ、カネというシンボルの体系とシンボルの数字を生み出した人だからという面もあります。

■教科書に書かれているのは平均値
班田収授法が歴史の教科書に載っていますが、口分田は沖縄にも薩摩にもありません。薩摩では検地もできませんでした。律令時代は隼人が宮廷のガードマンとして働いていましたが、隼人が舞いを舞う楽曲のレパートリーの中に「千代に八千代に」があり、これが君が代になったそうです。

■識字率
滋賀県の男性は幕末頃に90%が字を読めましたが、鹿児島県の女性は95%が字を読めないのが明治20年代頃まで続いたようです。全国平均にすると40%程度だったようです。

■元号 案を宮廷で考え、お金は幕府が出してくれました
令徳-徳川に命令するという嫌がらせで実際に候補になりました。
嘉徳ー徳川をほめる、おべっか案

■日本の世界人口における割合
江戸時代ー世界の20人に一人は日本人
2010年ー世界の200人に一人は日本人

■教養の定義
内田百閒-一回覚えて忘れた状態を教養という、最初から触れたことがない人間とでは雲泥の違い

■発想結合
受付などはロボットなどを使って低コスト運営するが源氏物語の貝合わせが体験でき、高い宿泊料がとれる宿屋。

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