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2019/10/12

関ケ原合戦は作り話だったのか

 【書 名】関ケ原合戦は作り話だったのか
 【著 者】渡邊大門
 【発行所】PHP新書
 【発行日】2019/09/27
 【ISBN 】978-4-569-84371-1
 【価 格】900円


副題が「一次資料が語る天下分け目の真実」になっています。家康は多数派工作をすすめ毛利輝元、小早川秀秋とも話がついており西軍は負けるべくして負けたようです。特に宇喜多勢は内紛騒ぎが尾を引いており、島津勢も兵力が少なく戦力不足でした。また毛利は安国寺恵瓊にすべての罪を押し付けてしまいました。


大谷吉継が家康に味方するつもりでしたが石田三成との友情から西軍へというシーンがよく描かれていますが、前田利長、浅野長政、石田三成、そして上杉景勝と豊臣政権を支える面々が瓦解することに危機感をいだいていたのが一番の理由でしょう。


■安濃津の戦い
関ケ原の戦いの前哨戦になったのが安濃津の戦い。安濃津城主・富田信高、伊勢上野城主・分部光嘉、松坂城城主・古田重勝、岩出城主・稲葉道通が東軍側で戦いましたが古田重勝は和睦を申し出て時間を稼ぎ、関ケ原の戦いのあとまでもちこたえました。安濃津城での戦いで兵力差はいかんともしがたく高野山の木食上人応其の仲介で降伏することになります。大津城の戦いでも西軍の要請で京極高次に高野山の木食上人応其が派遣され降伏となりました。


■井伊直政、松平忠吉
福島正則が先陣と決まっていましたが井伊直政が家康の息子で婿の松平忠吉を連れて福島隊の前へ出て、先陣をきったというシーンもよく描かれていますが、本来は秀忠が先陣予定だったのが遅れたため松平忠吉が代わりに先陣を勤めることで諸将も納得したようです。


■小早川秀秋の裏切り
前日までに話がついており、午前10時の開戦と同時に小早川秀秋は西軍に攻めたのが真相のようです。


■新藤三左衛門
宇喜多秀家の家臣で逃亡の時間を稼ぐため本多正純のもとへ秀家が自害したと宇喜多家に伝わる「鳥飼国次」という太刀を差し出します。嘘が判明しますが、徳川方はとがめられなかったようです。


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