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2019/10/18

明治維新に不都合な新選組の真実

 【書 名】明治維新に不都合な新選組の真実
 【著 者】吉岡 孝
 【発行所】ベスト新書
 【発行日】2019/10/15
 【ISBN 】978-4-584-12604-2
 【価 格】860円


「勝てば官軍」という言葉があるように敗者の歴史は書き換えられていきます。明治の元勲と言いながら若いときにやっていることはテロリストと変わりません。新選組に焦点をあてた一冊になっています。


■不平等条約と言われた日米修好通商条約
アヘン戦争に敗北した清が結んだ不平等条約をよく理解していたので幕府は平和裏に条約を結ぶことを急いでいました。今と違って欧米列強が極東の国と平等な条約を結ぶことも考えにくい状況でした。日米修好通商条約の関税は20%でしたが国内市場を守るには適していました。ところが1866(慶応2)年に一律5%と改正されたことで安い外国の工業製品が日本市場に入ってくることになりますが、改正のきっかけは尊皇攘夷により外国人へのテロでした。結果的にテロが国内産業に打撃を与えることになります。


■新選組が会津藩お預かりに
会津藩の方針は「言路洞開(げんろどううかい)」で浪人たちの意見を聞き、志あるものは奉公させるにありました。清河八郎と袂をわかち京都に残った浪士組を利用しようとしていたのは土佐藩と長州藩で、敵に走られるぐらいなら味方にした方がよいと引き取ることになります。


■かってに金策いたすべからざること
局中法度ということで有名ですが子母澤寛の小説による創作でした。当時の浪人結社が行っていたのが押借(おしがり)で、政治的大儀をいいながら何百両も出せというものでした。浪人を取り締まる側の新選組が同じことをするわけにはいかないので勝手な金策を禁止しました。ただし隊の方針のもとに行う金策はOKです。


■池田屋事件で会津藩が遅れたワケ
出陣する会津藩士が藩主の謁見(御目見)を願っていたためで、実は池田屋事件の前年に浪士召し捕えの捕方が藩主の謁見をえたという前例があったからです。これで新選組がわずかな人数で池田屋に突入することになります。池田屋では放火して京都を火の海にして天皇を奪い去ることを話し合っていたと言われていますが。これは後からの付け足しで実際は公家宅への放火程度を計画していたようです。



■新選組の情報収集能力
新選組はいわばアウトローなので、いろいろな情報ルートをもっていたようです。長州征伐では幕府軍について広島までは行っています。高杉晋作の動きや長州に薩摩が接近している事実、とても戦えない旗本の実力を報告しており、実に的確だったようで会津藩も新選組を高く評価していました。

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