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2019/09/12

織田信忠

 【書 名】織田信忠
 【著 者】和田 裕弘
 【発行所】中公新書
 【発行日】2019/08/25
 【ISBN 】978-4-12-102555-5
 【価 格】1500円


本能寺の変で26年の生涯をとじたため、よく分かっていない織田信忠についての一冊です。織田信長は正室である濃姫の養子として育てられため齋藤道三ゆかりのものとなります。岐阜を信長が征服してから8年目に織田信忠が岐阜城主になります。信忠の通称は菅九郎で齋藤道三に由来する西村菅九郎からとったようです。濃姫は78歳の長寿だたっという説があり、大徳寺総見院に墓所が伝わっています。


本能寺の変の時に大変だったのが家康の神君伊賀越えですが、実際は堺から竹内峠を通って大和に入り、特に越智城主には世話になったと記録されていますので、かなり南のコースを通った可能性があります。


本能寺の変で信長達は下々の喧嘩と思っていましたが、攻めてきたのが軍隊だったので信忠、信雄の謀反とも考え明智光秀は想定外だったようです。明智光秀も信長は狙っていますが、突発的だったので信忠は対象外でした。結果論からいえば信忠は逃げるチャンスがありましたが、反対に信忠にとって、こんな大規模なことをする限りは、とても逃げ切れないと考え二条城で戦いました。


信忠の一字拝領では忠の字を与えていました。細川忠興がそうでしょう。信長、信忠親子に恩義がある細川忠興は明智光秀の誘いにのらなかったのは当然でした。忠興の名字は長岡でガラシャが生きている間は細川ではなかったため、正確には細川ガラシャではなく長岡ガラシャでした。もう一人、団忠正も一字拝領のようです。


織田信忠が武田勝頼を滅ぼした時、北陸には信長が討死した、毛利の中国には信忠が討死したというデマが流れていたそうです。本能寺の変の一報が入っても、どれだけ信じられるかは、なかなか分からなかったようです。


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