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2019/05/12

そろそろ本当の忍者の話をしよう

 【書 名】そろそろ本当の忍者の話をしよう
 【著 者】山田雄司(監修)
 【発行所】株式会社ギャンビット
 【発行日】2018/10/01
 【ISBN 】978-4-907462-37-6
 【価 格】1,500円


■鈎の陣
忍者が知られるようになったのが鈎の陣。1487年、近江守護の六角高頼による横領がすすんでいたため将軍・足利義尚によって六角征伐が行われましたが六角側についたのが甲賀と伊賀忍者。義尚の死によって中止となりましたが実質的に六角側の勝利でした。


■和田惟政
甲賀出身で一条院覚慶の奈良脱出を手引きして甲賀に匿いました。この後、織田信長に引き合わせ一条院覚慶は足利義昭となります。甲賀町の和田には公方屋敷跡が残っていて油日神社にも詣でていたようです。甲賀は家康にも味方をしていて関ケ原の前哨戦となった伏見城の戦いでは守将・鳥居元忠とともに討ち死にしています。甲賀53家の一つが大原家で滝川一益はこの大原一族出身でした。


■神君・伊賀越え
甲賀の信楽に多羅尾氏がいて織田信長と松永久秀の仲介などをしていました。当時の当主は光俊で子供が宇治田原の城に養子で入っており逃亡している徳川家康を宇治田原で迎え入れ伊勢へ送り出したようです。家康は多羅尾氏居城の小川城ではなく八幡社観音堂に宿泊しました。多羅尾氏は豊臣秀次事件に連座して所領を没収されますが江戸時代に代官として復活します。


家康と甲賀は昔から関係があったようで三河で鵜殿合戦を起こした時に甲賀が味方していました。鵜殿城は忍者が攻めた城として名前が残りました。


弘前藩・津軽為信の家臣に杉山源吾という人物がいて本名は石田重成。石田三成の次男でした。この杉山の地は石田三成から重成が幼少時にもらった甲賀の土地の名前でもともとは多羅尾氏の所領地でした。


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