大坂城全史
【書 名】大坂城全史
【著 者】中村博司
【発行所】ちくま新書
【発行日】2018/10/10
【ISBN 】978-4-480-07180-4
【価 格】1200円
大阪城天守閣館長による大坂城の歴史です。
■石山本願寺の場所
石山本願寺がどこにあったか特定されていませんが、門徒が住んでいたのが寺内六町(北町、北町屋、西町、南町屋、新屋敷、清水町)でした。信長と和睦した顕如は和歌山の鷺ノ森御坊に退去することになりますが、この時、町人はそのまま居住して商売を続けることとなりました。この町人が住んだのが現在の大阪城二の丸あたりで石山本願寺はどうも現在の本丸にあったようです。東側に本丸があったので東町がなかったようです。
■番城の時代から豊臣秀吉の大坂城へ
石山本願寺の退去跡、本丸に丹羽長秀が二の丸に織田信澄が入り、預かることになります。本能寺の変の後は池田恒興が入りました。やがて天下をとると大坂城を秀吉が築き始めますが、ルイス・フロイスの記録に「昔の城の城壁と濠の内側に建てられた」とあるため、石山本願寺時代の石垣や堀を使って、そこに増築する形で築いたようです。
■徳川時代
家康の外孫である松平忠明が入ります。実は道頓堀の名付け親で、道頓堀は成安道頓が私費を投じて開削しましたが、大坂の陣で豊臣方として戦死してしまいました。その後を引き継いでできた運河を南堀などと呼んでいましたが、松平忠明が道頓の名をおしんで道頓堀にしました。
■昭和の大阪城
江戸時代を通じて大阪は町人の街だったせいか、昭和に入り天守閣復興の話になった時、誰も徳川時代の天守閣を造ろうと言い出さず、太閤さんの天守閣にすぐ決まり、現在の天守閣が建てられることになります。短命に終わった豊臣、徳川時代の天守閣よりも長くそびえたつことになります。
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