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2018/08/22

ちいさなちいさな出版社たち

 【書 名】ちいさなちいさな出版社たち
 【著 者】松籟社編集部
 【発行所】松籟社
 【発行日】1985/8/5
 【ISBN 】4-87984-058-0
 【価 格】1,300円

紹介されているのは影書房、径(こみち)書房、創樹社、マツノ書店、論創社で、なぜ出版社を立ち上げたのかなど記載されています。マツノ書店は山口県徳山市にある古書店&出版社で山口などに関わる本の復刻などをしています。我が家にもマツノ書店の本があります。

論創社への注文スリップで誤りもけっこうあり、「大逆事件の周辺」がなぜか「大学受験の周辺」で届きます。「農の美学」が「能の美学」になるのは簡単ですが、「十字星に祈る」が「北極星に祈る」になったりします。他には「知覚の精神病理」が「味覚の精進料理」になったそうです。出版社運営は大変でフランスの諺に「大金を失うのは簡単なことだ。出版をはじめればよい」というのがあるそうです。

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2018/08/04

激闘!賤ヶ岳

 【書 名】激闘!賤ヶ岳
 【著 者】楠戸 義昭
 【発行所】洋泉社歴史新書
 【発行日】2018/07/19
 【ISBN 】978-4-8003-1528-1
 【価 格】950円

柴田勝家をくだし秀吉の天下取りを確定づけた戦いです。先手をとったのが柴田勝家側で玄蕃尾城を本陣にして行市山砦、別所山砦、中谷山砦、大池山砦などを築いていきます。出遅れた秀吉は神明山砦、堂木山砦などを築き、持久戦にあたらせますが第二陣となる大木山砦などは城造りの途中でした。

柴田郡の総指揮をとっていたのは佐久間盛政で、もともとは御器所西城の出身。佐久間氏は源氏の家人である三浦一族で安房国佐久間庄を本貫としました。余呉湖の西側を迂回し手薄だった大岩山砦を急襲。守っていた中川清秀が討死します。ところが岐阜攻めの途中、大垣で川の足止めをくらっていた秀吉に情報が入り、一夜で戻ってきます。佐久間盛政は見事な退き口で撤退しますが、この時に前田利家が裏切り戦線を離脱します。ここから勝家軍が崩れることになります。

勝家の撤退時間を稼ぐために馬印を借りたのが毛受(めんじゅう)勝助。林谷山砦で2時間、秀吉軍を釘付けさせることで勝家を北庄城に落ち延びさせました。勝家が前田利家の城によって何も言わず茶漬けを食べたシーンが出てきますが、前田利家は迂回して城へ向かっていたので物理的に勝家の前に城には入っていなかったそうです。

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2018/08/02

大阪高低差地形散歩広域編

 【書 名】大阪高低差地形散歩広域編
 【著 者】新之介
 【発行所】洋泉社
 【発行日】2017/09/19
 【ISBN 】978-4-8003-1289-1
 【価 格】2,200円

紹介されているのは豊中、箕面、茨木、交野、古市、二上山、神崎川・守口、尼崎、枚方、高槻・富田、大山崎、池田、岸和田・貝塚、富田林が紹介されています。

古代、京都や奈良は古大阪湾とつながっていましたが生駒山地、六甲山地の隆起により古京都湾、古奈良湾は消滅していきます。

■花園
大和川の付け替えが行われましたが河内花園駅近くまで流れてきた玉櫛川がこのあたりで吉田川と菱江川に大きく分かれていました。この吉田川の痕跡が花園商店街のカーブとして残っていて、そのままラグビー場の方につながっているそうです。

■尼崎
弥生時代の海岸線は現在のはるか北でJR東海道線の北にありました。名神高速の南側が微高地になっていて、ここが当時の砂州跡。尾浜という地名も残っています。尼崎には時代によって三列の砂州列があり2つ目の列には難波熊野神社、熊野八幡神社などが砂州列沿いに並びます。


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初期室町幕府研究の最前線

 【書 名】初期室町幕府研究の最前線
 【著 者】日本史史料研究会
 【発行所】洋泉社歴史新書
 【発行日】2018/06/19
 【ISBN 】978-4-8003-1508-3
 【価 格】950円

副題が「ここまでわかった南北朝期の幕藩体制」。鎌倉幕府を倒し建武の新政がはじまりましたが、後醍醐天皇とたもとを分かった足利尊氏が楠木正成、新田義貞という忠臣を滅ぼし室町幕府を成立させたという話がありますが、実際はそんな単純な話ではなく、けっこう複雑でした。

もともとは後深草上皇と亀山上皇が兄弟ながら治天の君の座を争ったのが発端。皇統が持明院統と大覚寺統に分かれ鎌倉幕府も苦慮することになります。大覚寺統の後醍醐天皇が皇統の一本化を考えましたが建武の新政が失敗し、足利尊氏は対抗上、北朝を作ります。ただ尊氏は後醍醐天皇と和睦して皇統統一をはかろうとしていたようです。吉野に後醍醐天皇が移っても北朝側では皇太子をたてずに交渉していました。しかし交渉がうまくいかず最終的に征夷大将軍となり南北朝時代へと突入していきます。

九州がキーワードだった。新田義貞、楠木正成、北畠顕家に敗れた足利尊氏は九州へ逃れ体制を立て直して京都へ戻ってきます。同じように北朝に敗れた南朝も九州で勢力をのばしました。懐良親王を中心にまとまっていました。ちょうど倭寇に悩まされ、できたばかりの明から使者がきて懐良親王は日本国王に認定されます。足利義満といえば日明貿易で儲けたというイメージがありますが、懐良親王から代わって貿易をはじめるまで大変だったようです。

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