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2018/04/22

陰謀の日本中世史

 【書 名】陰謀の日本中世史
 【著 者】呉座 勇一
 【発行所】角川新書
 【発行日】2018/03/10
 【ISBN 】978-4-04-082122-1
 【価 格】880円

本能寺の変の黒幕は秀吉だった、関ケ原合戦を引き起こしたのは徳川家康だったなど、何か事変が起きると最後に得をした人が実は黒幕だったのではないかと思われますが、そんなことはなく、たまたまでした。

■源義経
頼朝の許可を得ず後白河法皇から検非違使を任官されたことに頼朝が激怒したと、よく言われていますが、そんなことはなく頼朝の意を得たものだったようです。頼朝は平氏の補給路をたって持久戦で平氏に勝とうという戦略を組んでいたのを、義経は三種の神器も安徳天皇も壇ノ浦に失ってしまうという失態を演じてしまいます。

これだけが引き金ではなく頼朝の意向で伊予守という最高峰に任じたので検非違使を辞任して京都を離れるのが筋でしたが、後白河法皇が手放したくなったことから独自の軍事力を後白河法皇は持ちたいのではないかと頼朝に認識されてしまいます。検非違使を辞めなかったことがきっかけになってしまいました。

■日野富子
悪女として名高いですが実際は我が子である義尚が成人するまでリリーフを足利義視に頼んでいました。義視の奥さんは自分の妹でもあったので将軍の跡継ぎ問題が応仁の乱のきっかけになったわけではありません。「応仁記」を書いた側が印象操作したことから悪女のイメージがついてしまいました。関所を作って幕府財政を支えましたが徴収される側の民としては守銭奴のイメージがあったことも確かです。

■関ケ原の合戦
過去撃破を狙って上杉討伐軍を起こした家康ですが、まさか石田三成が挙兵するとは思わなかったようです。しかも毛利輝元まで担ぎ出したのでびっくり仰天、といったとkろが真相のようです。「内府ちがいの条々」という告発書で、ますます窮地に陥ります。そこで賭けに出ます。村越茂助を福島正則らに派遣して、各々が動かないから家康も動かないと告げ、これに発奮して岐阜城を攻め落とします。ここから流れが変わり関ケ原の戦いに突入していきます。

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