歴史の愉しみ方
【書 名】歴史の愉しみ方
【著 者】磯田 道史
【発行所】中公新書
【発行日】2017/11/30
【ISBN 】978-4-12-102189-2
【価 格】740円
帯には累計10万部突破とあり奥付は12版になっていました。
■トカラ列島宝島
幕末に外国と対峙したというと下関戦争や薩英戦争が有名ですが、アングロサクソンと日本人が初めての地上戦を行ったのが宝島だそうです。1824(文政7)年に宝島に英国人(捕鯨船員)が上陸。薩摩藩の詰横目がいたので交渉を行いますが、言葉が通じないので身振り手振りで話をします。野菜などを渡したが対価を払うので牛が欲しいといわれたが、これを拒否。そしたら鉄砲をもって攻撃をしてきたため応戦。英国人一人が戦死し他は逃げ去りました。長い航海で牛が食べたかったのが原因のようです。
■伊勢氏
組織化されると計算が必要となります。奈良時代は民部省に主計寮(かぞうるつかさ)がおかれ、中央財政の収支計算を担当。税は主税寮(ちからのつかさ)が担当します。幕府では政所執事が統括しましすが、この役目を鎌倉時代は二階堂氏、室町幕府では伊勢氏が担当します。この伊勢氏の一人が伊勢盛時で後の北条早雲となります。
■直江兼続
関ケ原合戦が終わったあと、直江状などを送った直江兼続はおとがめなしとなりました。直江兼続が処罰されると毛利や島津の家老連中が次はウチだと領国にたてこまれると大坂城の動きしだいで、どうなるか分からなくなります。それで家康は助命したという話が「玉滴隠見」に掲載されているそうです。
■堅田元慶
毛利輝元の寵臣で、関ケ原合戦で毛利を西軍にした中心人物のようです。安国寺恵瓊が吉川広家に相談したが吉川は毛利秀元と相談した方がよいと言ったのを安国寺恵瓊は無視して毛利輝元に堅田元慶と共に大坂へ来るように要請し、これで石田三成に味方することになります。関ケ原合戦の後、家康は安芸・周防・長門の3国と堅田の切腹を要求しましたが毛利輝元は拒否。周防・長門の2国に減らされてしまいます。
■島津の退き口
島津勢は腰さし鉄砲を侍も足軽ももっていて、すごい重装備の精鋭部隊だったようです。絶大な火力でしたので井伊直政など徳川の要人が軒並みやられてしまいます。
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